凶兆の黒猫 と 吉兆の白猫 |
「うわあ、もうこんなにも雨が降って……」 いつものようにてゐたちと遊んでいた橙であるが、帰りに雨が降り出した。実は遊んでいる途中にも降っていたのだが、ごく微量なので気付かなかったのである。 久しぶりの雨で、もうすぐしたら豪雨になりそうな勢いである。あまりにも久々だったので新聞に書かれていた天気予報は外れるだろうと傘を持ってこなかったのが失敗だったらしい。 橙はいつもとは違う黄色い帽子が風に飛ばされないように押さえた。なぜいつもの緑の帽子ではないかというと、数日前に緑の帽子をどこかになくしてしまったのだ。 落ちてくる雨粒を必死によけようとする子供らしい発想で雨粒をかわすが、それは同じ三次元上にいては絶対にかわすことが出来ない最強の弾幕であり、無駄な努力であった。 さらに悪いことに、この化け猫、橙は水が苦手である。一滴当たるたびにきゃあきゃあ叫びながら自らのいるべき家に帰ろうとするのだが、 「にゃーお……」 「あれ?」 人間ならば人間の声に敏感である。例外ではなく、橙もまた、猫の声には敏感であった。したがって、どこからともなく聞こえる声に耳を貸さずにはいられなかった。声のしたほうを調べようとしたのだがそんなことする必要はなかった。 自分のすぐ前、雨宿り出来そうな大きな木の下にそれはいた。言うまでもなく、その声の主である。 「うわあ……綺麗な白猫」 寒さに震えるその白猫はどこか高級感があり、とても美しく、綺麗に見えたのだが、実際に綺麗だったのだろう。 「連れて帰りたいなあ……」 今までなら簡単にほいほいと連れて帰っただろう、しかし以前こんなことがあったのだ――。 ――こら、橙! 連れてきたら駄目だろう! ある晴れた日、可愛くて橙になついた三毛猫を連れて帰ってきた橙を藍は叱り付けた。 ――まあ藍、いいじゃないの ――駄目です、紫様がなんと言おうと! どうせ面倒を見ずにほったらかしになるんですから! ――藍様、橙はそんなことしません、必ず育てて見せます! ――じゃあ橙、 この前博麗神社の祭で買った金魚どうなっている? ――…… 橙は黙り込んでしまった。その金魚は今藍によって育てられている。橙は金魚を買ってきた数日後に餌をやるのをやめて、藍にまかせっきりにしまったのだ。 ――お前がちゃんと飼えるようになるまで、駄目だ 「ちゃんと……飼えるもん!」 猫を抱き上げ、帰りを急ぐ橙。もちろんあの時の二の舞だとはわかっている、だが彼女には策があった。それが果たして藍に通用するかどうか、それはこれからの彼女の働きにかかっている。 ★ 「藍様ただいまー」 緊張して半音高くなった挨拶を自分の主人にし、疑問を感じる主人の横を通り抜けこたつの中に入る橙。 「橙、体が濡れているぞ。今タオル持ってくるからな」 藍がタオルを持ってきて服から水をふき取った。橙は風邪ひくからじっとしてろとこたつの中にいるように言われたので、そこで動くことなくじっとしていた。 「ん?」 藍が声を上げた。橙がどうかしました、と質問するといや、なんでもない、と言われた。本人曰く緑の帽子をどうした、と言おうと思ったのだが「そういえばこの前無くしたんだったな」と思ったらしい。 帰ってから、こたつの中の橙は藍がちょっと声を掛けただけで「ニャッ!」と悲鳴を上げる。藍も伊達に橙の保護者をしていない、こいつは隠し事をしているな、とうすうす気付いていた。 傍らでずっと寝ている紫が緊張をほぐしているが、紫がいなかったら橙にとっては見るものすべてが敵という恐ろしい状態だった。ちなみに紫は今年の冬眠は温暖化のせいでなかなか寝る気になれず、珍しくもう起きている時期だった。今寝ているのは昼寝の延長である。 帰ってきたとき橙は、家の縁の下に白猫を隠した。縁側で白猫が鳴かなければいいのだが……。 「にゃー……」 「む?」 藍が鳴き声に気付いたように橙のほうを見る。とっさに橙は猫のように鳴き、誤魔化そうと試みた。橙がもう一度鳴き、藍の関心をさらに自分に集中させる。橙のほうを見て瞬きする藍。とても短い時間なのだが、橙の体からは嫌な汗が出ていた。 「……気のせいか」 紫にご飯ですよ、と声を掛け、藍は台所へと帰っていく。紫は珍しく飛び起き、藍を驚かせていた。その様子を楽しそうに見る紫。 ほっと胸をなでおろした橙はそっとこたつから抜け出し、縁側に向かった。もちろん、猫にあうためである。 ★ 猫に声を出しちゃ駄目だよ、と注意をし、こたつに戻ろうとした橙だが、よく考えたら寒さをしのぐ物を渡していなかった。地面は雨で濡れているので、猫は箱の中に入っていた。 橙は部屋に戻り、適当なタオルを数枚持ってきて箱に入れてやった。縁の下から出てきた猫は箱の中に入ろうとするのだが、高さがあわない。橙が猫を抱えて箱の中に入れようとすると、猫が何かを咥えているのに気付いた。 「あ!」 それはこの前までかぶっていて、無くしてしまった帽子だった。どこにあったのかは知らないが、とにかくこの猫が見つけてくれたのだ。 「ありがとう!」 猫にお礼をいい、こたつに戻る橙。 「橙〜運ぶの手伝ってくれー」 「はーい、藍様」 「お、帽子見つかったのか!」 「はい!」 ★ 「それでね――」 「そうかそうか」 橙の話に耳を傾ける藍、その様子はまるで本当の親子のようだ。ちなみに紫は現在蚊帳の外で、二人の話しにはいる機会を、箸を開く閉じるを繰り返してずっと待っている。 やがて、ついに二人の話が途切れた。その機を待っていた紫が口を挟む。その言葉は橙に与えられたものだった。 「ところで橙、今日はお魚二枚食べるわよね?」 箸で魚をつまみ、橙の前に差し出す紫。 「え? 別にいいですよ」 紫はチラッと縁側のほうを見る。そして微笑んだ、そして胡散臭くて不気味な笑みを浮かべ、再度繰り返す。橙は本能的に嫌な予感がした。 「食べるわよね?」 声を少し低く、しかしずっしりと重い一言を放つ。橙はその強い気に押され、頷いた。そして確信した。この人は、気付いている……、と。 紫はこういう隠し事に非常に非常に敏感で、鋭い。その瞳に睨まれると、隠し通すことは出来ない、決して、誰であろうとも。 紫はいつものにこにこ笑った顔に戻すと、箸で橙の皿に魚を移す。藍は珍しい、と呟きながら首をひねっていた。 「あ、藍。ご飯おかわり」 首をひねっていた藍の前に茶碗を差し出す紫。それにわかりました、とすばやく紫の茶碗をもって台所へと藍は消える。 「今のうちにそれ、もって行ってあげなさい」 「でも……紫様どうしてですか?」 「いいから!」 少し強い口調で言われ、転がるように縁側に飛び出す橙。そして橙は白猫に紫の魚を渡し、すばやくこたつの中に入る。ちょうど藍が戻ってきた。 「橙? この部屋そんなに暑いか?」 顔を真っ赤にさせ、汗が目に見えるほどになっている橙を見て藍はクエスチョンマークを頭に浮かべる。 「い、いえ! お茶とお味噌汁が熱くて!」 「そうか、お前は猫舌だから気をつけるんだぞ」 「はい」 チラッと橙が紫のほうを見ると、それに答えるように紫はウインクした。その様子に頭を少し下げる橙。しばらくは白猫も鳴くことはなく、話題もなかったので静かな食事が続いた。 ★ 食後、のんびりとした時間がやってきた。この時間はいつも暇な時間であり、大抵は三人で一緒に話をして過ごす。突然降り出した雨の話をしていると、水関連だろうか、藍が風呂のことを思い出した。 「お風呂を洗っておかなければ――」 藍が席を立ち、風呂場へと向かう。藍が行った事を確認し、紫と橙の二人はさっきのことについて話し始めた。 「紫様、さっきはありがとうございました、でもなぜですか?」 「だって猫がいるっていうのはいいじゃないの、あなたが凶兆の黒猫ならあれは吉兆の白猫といったところかしら? 帽子も見つかったし」 「猫だってこと、しかも白猫だって事まで見抜いていたんですか!? それに帽子も……」 「ええ、さっき鳴き声が聞こえたしこたつに白い毛が落ちていたわ。それに橙、あなたさっき縁側のほうから帽子を持ってきたじゃない」 どうやらさっきは本当に寝ていたのではなくて実は起きていたらしい。それにそういえばさっき藍に服を拭いてもらったときに白い毛を何本か落としていたのだ。 「さすが紫様……」 橙はただ感心している。さすが紫である。ところでさっきの紫の一言、何か引っかかったような気がするが、橙はそれに気付かなかったかのように気にしなかった。 「藍に見つかったら大変だわ、絶対に捨ててくるように言われるわよ」 「はい、見つからないようにしないと」 「ところで橙、私にも見せてもらえるかしら、その白猫を」 「はい!」 ★ 「なかなか可愛いじゃない」 「可愛いって、よかったねー」 白猫の頭を撫でてやると嬉しそうに橙に甘える。紫も続いて撫でると、やはり嬉しそうにしていた。人懐っこい猫らしい。 「それにしてもここじゃすぐに見つかっちゃうわ」 ここは寒いし、さっきのように簡単に鳴き声が聞こえてしまう。橙はあ、と声を上げ、紫に提案する。 「紫様のスキマに入れることは出来ませんか?」 「出来るけどどこかに流れちゃうわよ」 「あ……」 隠すところがあってもどこに言ったのかわからないのでは元も子もない。つい論外なことを考えてしまった自分が恥ずかしくなった橙であった。 風呂から雨の音の間を縫って聞こえていた水音が止まった。 「あ、そろそろ藍が戻ってくるわ、急がないと!」 ★ 「二人ともどちらに?」 「え、いや、ちょっと庭にね、蛍を見に……」 「この季節に蛍はいませんよ?」 「あ、あら私ったら。ゆかりん失敗、てへ♪」 「…………」 「てへ♪」 「まあ……構いませんけど。ところで橙、白猫は元気だったか?」 「はい、もちろんです!」 この空間に存在する空気が凍った。墓穴、その言葉だけが橙の言葉の中に響いていた。橙のあ、という呟きが全員の耳に入るほど、部屋は静まり返っていたのだ。紫はあちゃー、と扇子で口元を覆っていた。 「やっぱりな……」 はあ、とあきれて頭を抱える藍。少し震えた声で藍に疑問を投げかける橙。 「ど、どうして……」 「さっきお前の服から水をふき取ったときにたくさんの白い毛が落ちてきた。そしてさっきの明らかにお前とは違う鳴き声、間違いないな?」 さっきの紫との話の途中で引っかかりを感じた橙はその正体に気付いた。 橙の服の水滴を拭き取っていた藍が落ちてくる毛に気付かないはずがないのだ。よって、かなり前から藍はうすうす気付いていたのだろう、さらには鳴き声で確信した。最終段階は決定的証拠を得るために、橙に鎌をかけたのだ。 橙は見事に藍の術中にはまったのだ。 「ごめんなさい、藍様……」 しゅんと小さくなり、反省の言葉を述べる橙。そんな橙にあきれたような視線を送る藍。そして藍はため息をひとつつき、厳格な処分を下した。 「……雨が上がったら捨ててきなさい」 「でも……」 「藍、それは私も納得いかないわ。いいじゃないの猫一匹くらい」 さすがに紫も納得がいかなかったらしい、紫は橙の肩を持った。 民主主義ならばこれで橙の願いは通るはずである。だが、こういった生活面では最も甲斐性のある藍の権威は絶対であり、当然紫をも超越する。藍が許せばその意見は通るし、藍が許さなければそれは許されることはない。 今回の場合、賛成と反対は二対一であるが、一である藍が勝利するのだ。 「駄目です、紫様も橙も世話をしないでしょうから」 「それは……」 あまりにも確信をついていたので言葉に詰まる紫。結局言い返すことは出来ない。橙もまた、同じ理由であった。 「それまでは……家に入れてあげなさい、可哀想だ」 「藍様……ありがとうございます」 何とか今日だけは入れてもいいらしい。縁側の下に隠していた猫を持ってきて、藍の前に差し出す。 「まったく……」 藍は皿を持ってきて、牛乳を注ぐ。白猫はすぐにそれを飲み始めた。 「まあ明日にはお別れだろうから、それまで大切に育ててやれ」 「はい、藍様!」 橙の顔には先程の悲しげな表情は無かった。 藍は橙の様子をしばらく見ていたが、やがて何かを思い出したかのように新聞をもってき、それを読み始める。 「そういえば明日の天気は――」 ★ 「雨か……」 藍が外を眺めてふぅ、とため息をついた。もう橙が猫を拾ってから4日経つが、ずっと天気は雨なのだ。しかもかなりの豪雨である。これでは放り出すわけにはいかない。 「まずいな……」 晴れになったら白猫を追い出す約束だったのだが、これでは追い出せない。まずいのはそれだけでなく、白猫が長居すればするほど別れが辛くなる。実際藍としてもその白猫を大変可愛がっていたので追い出すのは少々辛い――いや、かなり辛い。 もう一度空を見上げるが、気分が暗くなるような雨雲が何重にも重なっているようで、しばらくは止まないように見える。 「いったいいつになったら止むんだ……?」 ★ 「一ヵ月後よ」 「そんなにか……」 紅魔館の図書館、そこで魔女パチュリーは興味なさげに本を読んだまま来客、魔理沙へと返答した。 実は最近幻想郷では雨が降らず、極度の水不足であった。さらには、最近フランドールが外に出たいと駄々をこねるのだ。そこで利害の一致からパチュリーと魔理沙は魔法を使い、雨を降らせた。そしてその雨が止むのは大体一ヵ月後、とされている。しかし降らせすぎたようだ。 大地には無かったはずの沼や湖が完成したり、洗濯物が乾かなかったりと逆によろしくない結果となってしまった。 「あーあ、やりすぎたなあ」 魔理沙はこれはレミリアあたりに怒られるなあ、と考えるが、後悔先に立たずである。 ★ 「白猫も橙になついちゃってるし……はあ……」 しばらく雨はやみそうにない。このままでは別れが余計辛くなってしまう。最近の橙は白猫の面倒をちゃんと見ているので、あの白猫はずいぶん懐いてしまっている。 (あいつも黒猫であるし、兄弟のような感覚なのだろうか? だとしたらうちで飼っても……) ふとそんな考えが頭をよぎる。 (これだけ可愛がっているのだから金魚の落ち度は訂正してやってもいいかもしれないな……金魚?) 思い出した、そういえば金魚に餌をやっていなかったのだ。いつの間にか金魚の餌をやる係りが藍になっていたのは疑問であるが。 (そうだ、橙がちゃんと餌をやったら飼わせてやろう、それがいい) 最近の橙は金魚に餌をやれといってもやらなくなった。だから白猫だけでなく、金魚の餌もちゃんとやったなら飼わせてやる事を藍は心に決めた。 「橙」 「はい?」 「金魚に餌をやりなさい」 「わかりましたー」 いつもの餌がしまってある戸棚を開け、餌を取り出す。そして金魚鉢に向かう。やけに素直である、機嫌がいいのだろうか。 「あれ?」 妙だ。六匹いる金魚の様子が何かおかしい。 「藍様〜!」 「なんだ?」 慌てて藍を呼ぶ橙。橙が指差した先には……。 「……なんだこれは?」 六匹の金魚が同じ向きに泳いでいた。曲がるときも一緒、上に向かうときも、下に向かうときも、六匹みな同じなのだ。気持ち悪く感じた二人であるが、理由はわからない。 「訳が分からん……」 「とりあえず餌を……」 こぼさないように慎重に、橙は餌を金魚鉢の中にまく。金魚たちはやはり同じ動きで餌を食べ始めた。 (よし) 間違いなく、確認した。藍の心が『許す』と判決を下した瞬間であった。 「橙、話がある、こたつに戻ろう」 「はい!」 橙が元気よく返事をする。これからの未来を、一足早く見たのかもしれない。 ★ 「よかったね〜!」 非常に短く許可が下り、橙は狂喜していた。その様子をまんざらでもない様子で見る藍。 「やっと藍も折れたのね」 「ちゃんと育てるんだぞ」 「はい!」 橙が微笑み、そういえば、と考え込む。 「うちの子になったんだから名前をつけないとね――単純だけど白いから白(ハク)なんてどうですか?」 藍と紫のほうを交互に見て、最後に白猫を見る。 「いいんじゃないの?」 「橙、立派になって……!」 「にゃーお♪」 「決定ね!」 全員一致で決定した。よってこれからは白猫ではなく、白と呼ぶことになった。 「白〜これからはずっと一緒ね〜!」 橙は嬉しそうだ、紫と藍も、微笑んでいるように見える。 白は、数日前からずっと幸運を運んでいる。例えば白がうちに来てから一日経ったとき、橙が昼寝しているときに藍と紫が出掛けようとしたら白が藍の帽子を奪って家の中に消えた。藍が追いかけたら白は台所にいて、その時藍は火を消し忘れていることに気付いた。 さらに翌日、白がどこかへ消えたと思ったら財布を持ってきた。それは紫が落としたものだった。 他に例を挙げればきりがない、この白猫――白は吉兆の白猫なのだ。 「白が来てからこの家はにぎやかになったような気がしますね」 「ええ、いいことだと思うわ」 「私も……それを認めざるを得ません」 その時の藍の表情は悔しそうな顔ではなく、橙を見つめるときのような優しい表情をしていた。 橙が白を離し、台所から水を汲んできて飲む。喉が渇いたらしい。白はというと、台所へと消えていった。橙はコップを机の上に置き、白を追いかけようとする。 その時であった。 橙は最初、机を紫が揺らしているのだと思った。橙が飲んでいた、机の上に置かれたコップの中の水が波紋を作り、やがてひっくり返ったから。 次に橙は、誰かが来て扉をうるさくノックしているのかと思った。どこからともなく轟音が聞こえたから。 最後にようやく橙は、気付いた。とっさに藍に抱きかかえられたから。 天井が揺れている、地面が揺れている、壁が、壊れていく。 「早くスキマに!」 普段は穏やかな紫からは想像できないような怒声にも似たような声が藍の耳に入り、藍は紫が開いたスキマに飛び込んだ。 「白が、白が!」 橙が必死に叫ぶが、二人にその願いが聞き入れられることはなかった。 ★ 荒れ果てたマヨヒガのある屋敷、そこにひとつの空間の裂け目が現れた。もちろん、紫のスキマである。 「橙……本当にすまなかった、だから……元気を出せ」 「…………」 下を向いたまま返事をしない、いや、出来ない。その理由は雨とは違う、いや、橙の目から溢れる雨が語っている。 「紫様、とりあえず……家の安全そうなところに移動しましょう」 台所のあたり、そこはまだ形が残っていた。正確には全体的には形は残っているのだが、いつ崩れてもおかしくないほど危険な状態なのである。理由は分からないが、台所だけはそのままであった。 「橙、私たちは台所を見て来る、お前は濡れないようにあの木の下で待っていなさい」 崩れそうにはないが、万が一と言うこともある。さすがに橙を危険な目に巻き込むわけにはいかない。紫と藍は橙を残して台所へと入っていった。 中はやはり、散乱している。割れた皿が飛び散っており、足の踏み場もない。たとえ崩れなくても橙を呼ばなくて正解だったようだ。 「ん?」 台所にはひとつの台があり、その台には移動できるように底に車輪がついている。その台の上には祭で買った金魚を入れた金魚鉢が置かれているのだが――。 ★ 「うぅっ……ぐすっ……」 木の下、雨が当たらないこことなってはもうすでに橙の目から溢れるものが雨だと誤魔化すことは出来なかった。嗚咽交じりの声で泣きつづける。 藍様と紫様の馬鹿、そう心の中では考えていたのだが、それが間違った考えだということは橙も幼いながらも理解していた。誰も、悪くないのだ。だから誰も攻められない。 八つ当たりをしようかと思ったが、それが無意味であることも橙は理解していた。仕方なかったのだ、今回は。 「ぇん……」 嗚咽ではない何かが橙の耳に入った。気のせいかと思って気にしなかったのだが、その音は徐々に大きくなった。 「――ぇぇん、ちぇええええん!」 その声は間違いなく、自らの主人である藍のものだった。涙目のまま、声のしたほうを見る。屋敷の台所の辺りで手を振っている。 「橙! ちょっと来なさい!」 雨を気にせず橙は藍のほうへ走った。藍指差す方向は車輪のついた台があり、その上には金魚鉢が――。 「は、白!」 金魚鉢のすぐ隣、そこに白はいた。死んでなんかいない、橙を見た瞬間嬉しそうに鳴いたし、橙を押し倒さんばかりの勢いで飛び掛ってきたから。その重さに少しよろける橙。 「本当に吉兆の猫らしいな、いや、もしかしたら幸福を運ぶ白猫なのかもしれない」 なぜか白がいる台所だけはほとんど無傷で、崩れそうにない。幸運の白猫なのだろう、誰もがそう考えた。 だがそんな事は橙にとってはどうでもよかった、ただ、友達が生きていてくれたのだから。金魚鉢もまた、割れてもいなかったし、中の金魚もみな無事だった。今度は、六匹すべてが別々の方向に泳いでいた。 白は、あの時この未来を知っていたのかもしれない。そして見事、自分の使命を果たしたのだ。白は、やはり吉兆――いや、藍の言うように幸福を呼ぶ白猫だったのだ。 「あら? 雨が……」 紫が空を見上げて呟く。どうしたことか、雨はすでに止んでいた。代わりに、七色に輝く大きな虹が、空を満たすように橋をかけていた――。 ★ 「なんとか……やんだか?」 「ええ、でも今度は一ヶ月くらいは雨が降らないわよ」 「どんまい……」 あとがき こちらのサイトの限定小説を書こうと思いまして、実際に書いてみました。 これを書き始めた頃にアンケートでトップだった橙を主人公にして見ました。 魚が同じ向きに泳ぐ、猫が急にいなくなる、ネズミが引っ越す、なまずが暴れるなどの奇妙な出来事は災害の前兆といわれています。 見かけたら構えてくださいw 最初は白猫が死んでしまい、その命と引き換えに金魚をすくったという話だったのですが、『それぞれの想い』シリーズで非常に死者が多かったため、生存のハッピーエンドで終わらせていただきました。 それにしても藍の性格が難しいですorz サイト用なので点数はつきませんが、お楽しみいただけると幸いです。 感想をいただけるともっと幸いですw 4/3 一箇所修正いたしました、じう様ありがとうございました。 TOHO/SS/HOME |