| 雨上がりと必殺技 |
| 勢いよく、寺子屋の窓が開かれる。先程まで、窓を走っていた雨水の線は水滴となり、四方八方に飛び散った。 開いた窓から顔を出し、慧音は空を見上げた。雲の陰から姿を現した太陽が眩しい。それでいて、優しい光だ。 先程までは、数万のバケツをひっくり返したような、激しい雨が降っていた。そう、降っていたのだ。 今となってはこの快晴。どいういう天気の気まぐれだろうか。 とりあえず問題は解決したので、気にすることではないが。 「よし、そろそろ大丈夫だろう。気をつけて帰りなさい」 先程から雷の音に怯えていた生徒たちに、優しく声を掛け、慧音は寺子屋の扉を開けた。出て行く生徒たち一人一人に声を掛けてゆく。 「さようなら」 「明日も休まないようにね」 「走って転ばないように」 「水溜りで遊ばないようにな」 「他人の股間の前に、傘の取っ手を突きつけて遊ぶんじゃないぞ。さらにその状態で引くなよ、絶対だぞ」 該当の生徒たちは少々苦笑いを残しながらも返事をし、手を振って帰っていった。慧音は全員がいなくなったことを確認し、寺子屋に鍵をかける。その間に、どこからか、「喰らえ!」、という声と、悲鳴が聞こえたのだが、あえて気にしなかった。制裁――教育は明日でよい。 【雨上がりと必殺技】 妹紅はどうしているだろうか。 ふとそんな疑問が、帰宅途中の慧音の頭を過ぎった。 妹紅は、非常に貧相な家に住んでいる。この間、雨漏りがすると言っていた。 それにもかかわらず、本人が気に入っているのか、引っ越そうとはしない。 もしかすると、今頃困っているかもしれない。 「いや、待てよ……」 そういえばちょっと前、土砂降りのせいで、腐った木が崩れてきたとも言っていた。 「……大丈夫だろうか」 考えれば考えるほど、心配になってくる。不安な気持ちが募り続け、ついには限界に達した。 「行ってみよう」 慧音は早足で、妹紅の家へと向かった。 妹紅の家を、囲むように生えている木を抜けると、そこは戦場だった。 戦士たちの雄たけび、そして悲鳴。 「そぉい!」 「うぎゃあああ!」 寺子屋の少年たちが、命を懸けて戦っていた。 戦場において、相手の首を狙う者を見ることがよくある。そんな戦の常識を無視するかのように、この戦場に首を狙うものはいない。 狙うは、股。武器は、傘に限る。 後ろからの攻撃にいち早く気づき、攻撃をかわす少年。だが敵はもう一人用意されていた。説明するまでも無いが、哀れ、その少年は泥だらけの地面に沈んだ。 「ぐわああ!」 不意打ちに悶絶し、目を見開いて驚く少年。してやったり、と言いたげにほくそ笑む実行犯。こんなおぞましいやりとりも、この戦の一部に過ぎないのだ。 その証拠に、この少年が悶絶しようが、周りの戦は止む気配が無い。 「ほいっ!」 「ひひ!」 敵を討ち取って勝利に浸っている少年に、後ろから魔の手がさす。さっきまで笑顔だった少年は顔が引き攣り、不気味な奇声を発しながら倒れた。いや、斃れた。 油断している少年の背後から、傘を装備して匍匐全身で近づく少年。更にその背後を狙っているのが――。 「妹紅、何やってるんだお前!」 聞きつけた妹紅が肩を震わせた。妹紅は素早くその場にいた全員に号令をかけた。少年たちは勝負を忘れ、一斉に逃げ出した。 だが遅い。どういうわけか妹紅は速く走れないらしく、すぐに慧音に襟を掴まれて観念した。顔を青くした妹紅は切羽詰った様子で、慧音の手を何度も叩く。襟が首に食い込んで苦しいらしい。 「何をやってる! 寺子屋の生徒まで巻き込んで!」 開放された妹紅は何度も深呼吸をし、ばつが悪そうに頬を掻いた。 「いやだってさ、家が壊れて、暇だったから――」 「だから私の生徒を巻き込んだのか!」 本来の慧音の心配事が、紛れも無く現実になっているのだが、慧音はそんなことなどすっかり忘れている。今は妹紅を叱る事で頭がいっぱいのようだ。 慧音はちら、と周りを見回すと、寺子屋の生徒たちは全員その場で叱られるのを待って――はいないだろうが、覚悟を決めたように視線を落とした。慧音としてはあまり強く叱ったつもりは無いのだが、生徒たちは今にも泣き出しそうな顔をしている。 そんな生徒たちを見ていると、怒りにくくなってしまった。 「まったく……。こんなことをするな、危ないぞ」 妹紅は「わかった」、「うん」、「流石けーね、許してくれた」などと言い、慧音の後ろのほうへと立ち去っていった。 耳を澄ますと、ぐちゅぐちゅと音がしているのが聞こえる。この音には聞き覚えがあった。靴の中に水が入ってしまい、何度も踏んづけている音だ。 その時、慧音は本来の目的を思い出した。妹紅を呼び止めようと、慧音は振り返った。 「あっ」 「妹紅、今夜どうするんだ?」と聞こうと、振り返った慧音の瞳に、妹紅の焦った表情が映った。その手には、慧音のほうに取っ手が向いた傘。 普通傘を使うときに、取っ手を相手に向けるなんて事はしない。 ということはつまり、 「妹紅! お前懲りてないな!?」 「うわあああ――!」 こうしてまた、鬼ごっこが始まった。 「ふう……極楽極楽」 敷かれた布団に寝転びながら、妹紅は呟いた。 あの後、何とか慧音を説得し、慧音の家に泊めて貰える事になった。やはり慧音は厳しそうに見えて、親切だ。 「妹紅」 部屋の前から、慧音の声が聞こえた。入っていいよ、と言うと、慧音は襖を開いた。滑りがいいのか、それとも慧音が意識したのか、襖は比較的静かに開いた。 「何か用――って慧音、何持ってるのさ!?」 右手で襖を開けた慧音は、左手には傘を構えていた。 「ん、これか? ふふふ」 取っ手を妹紅のほうに向ける。 「ちょ、ちょっと待て、私武器持ってないんだよ!? 卑怯だって!」 「さっき、私はお前の立場だった。 しかも今の私はお前に対して、正面から宣戦布告している。卑怯と言われる筋合いは、ない」 妹紅が後ずさりした。しかし所詮は室内、背中が壁にぶつかった。慧音が正面からゆっくりと歩いてくる。凶器を持って。追い詰められた。 「妹紅、覚悟!」 「わ、わあああああああああ!」 無駄だとわかっていても、とっさに目を瞑って衝撃に備える。 だが、いつまで経っても衝撃が襲ってくることは無かった。恐る恐る、妹紅が目を開く。 「冗談だ」 なんだよー、と妹紅は脱力する。と思ったら、さっきまで本気で怯えていたことを思い出す。妹紅は俯いて赤面した。 「次、私の生徒たちにあんなことを教えたら、本気でやる」 「怖」 妹紅は「へいへい」と、聞いているのかいないのかわからないような口調で、慧音に適当に返事をした。だがすぐに何かを思いついたらしく、顔を輝かせた。 「慧音、輝夜との殺し合い、やめようか?」 「は? 何だ突然」 「いいから! やめようか!? 三日後、約束してるんだけど」 殺し合いにも礼儀があるのだろうか。約束とは、そんなことができるのなら、仲直りできるのではないか。 そう思った慧音だが、流石教師。相手の言い分は最後まで聞く。 「ああ、もちろんやめて欲しい。だが、聞くのか?」 「うん、ひとつだけ、約束してくれるなら――」 夜の闇に隠れ、妹紅は機会を待っている。標的が現れると、彼女は容赦なく、凶器を突き出した。本人は慎重に歩いているつもりなのだが、隙だらけだ。 「痛あっ!?」 「よっしゃ、私の勝ち!」 妹紅は傘を高く掲げ、勝利を宣言した。 「ふふ……悔しかったらリベンジしてみな!」 「く……言われるまでも無いわ!」 不死の力か、復讐の精神か、輝夜はすぐに立ち上がった。彼女を称え、口笛を吹く妹紅。 「次こそ私の勝利よ!」 輝夜と殺し合いをしない、それを条件に許可したこの勝負。予想以上に二人は熱中しているようだが、決闘方法が方法なので、慧音としても複雑な気持ちだった。 しかも、二人の勝負を見に、夜な夜な観客が増えている。 そのため、密かにこの決闘が幻想郷中に広まっているという事を、慧音はまだ知らない。 そして、彼女の後ろに傘を構えた人物がいるということも。 今日も断末魔の悲鳴が、幻想郷のどこかで聞こえる。 【あとがき】 こんな遊び、男子の間に流行ってませんでした? とってもくだらないと私は思いますが、彼らは楽しいんですよねえ……。 傘は凶器です、皆様ご注意ください。 TOHO/SS/HOME |