あなたに捧ぐ、
ちょっとした恩返し

 あーちくしょう、痛い。私はさっき輝夜に握りつぶされた心臓を押さえ、何度目になるかわからない呻き声を上げた。

 ついさっきまで、恒例の輝夜との殺し合いをやっていたのだが、三勝二敗という勝利の結果に終わった。勝ったは勝ったも、やつに握りつぶされた心臓が痛くて仕方がない。ちくしょう……今度会ったらフジヤマヴォルケイノで消し炭にしてやる。

 竹やぶを歩きつつも、今夜の夕飯のことを私は考えていた。あー腹減った。竹の子食いたいなあ……。

 しゃがみこんで、地面に手を伸ばす。しかし私は空中で手を止め、膝の上に置いた。地面を掘ろうと思ったのだが、それは慧音の専門職だろうし、まだ心臓が痛いのでやめた。

 立ち上がると、真上にあった竹が額に当たり、ちょっと腹がたった。『ちょっと』、と言うのは、ここに輝夜がいないからだ。この『ちょっと』は、奴がいるだけで『かなり』、『滅茶苦茶』に置き換えることが出来る。まどろっこしい言い方をしたが、まあ要するに奴がいなくて良かった、と言うことだ。

 少しひいてきた痛みに、しかしまだ痛むのを我慢しながら歩いていると、前方に銀色の髪の女が歩いているのが見えた。木の間から見える横顔は、まさしく私の友達の上白沢慧音のものだった。

 若干体が前に沿って足がいつもより遅いから、疲れているのだろう。しかしこのままスルーするのも失礼かと思い、私は迷ったように見せかけて迷わず声を掛けた。

「おーい、慧音!」

 私の声が聞こえたのだろう、慧音がキョロキョロと周りを見回し、やがて私のほうに顔が向けられた。

 私が走って近寄ると慧音は少し微笑んだ、でも私の服を見て表情を裏返したように険しくした。多分、慧音が見ているのは――。

「妹紅か。……また殺し合いか?」

 怪訝な顔をして、血の付いた私の服を一通り見渡し、最後に私の顔を見る慧音。おいおい、そんな顔するなって。いつものことだろ?

 慧音はいつものように説教をするようなそぶりを見せたが、疲れているらしくため息を一つついて表情を和らげた。

 慧音の癖の、ため息をつくのはよくないよ、と言う言葉は慧音の疲れていそうな精神を気遣って飲み込んだ。

「まあいい、お茶でも飲んでいくか?」

 慧音の淹れるお茶はある紅白腋巫女ほどではないものの、かなり美味い。私は遠慮なく慧音の提案に賛同させてもらうことにした。



 ★



 慧音の淹れてくれたお茶から発生する湯気で私の顔が紅潮するのが見なくてもわかる。一気に飲もうとして、口いっぱいになった頃に熱すぎる事に気付く。湯飲みに口の中の物を戻すわけにもいかず、酸欠の金魚のように口をパクパクさせて熱を逃がそうと試みる。

「妹紅、何だそれは」

 慧音は彼女にしては大きめに笑いながら私に問うが、答えられるはずがない。いや、私は必死なんだよ? ほら、あるだろ、たこ焼きを口に含んで噛んだら中身が思ったより熱くて地獄を味わったって経験。ね、あるでしょ、慧音?

「私はないな」

 どうやら口に出していたらしい。……ってちょっと待て、私はお茶を口に含んでいるはず、どうやって声に出したんだ?

 と思っていたのだけど、いつの間にか口からお茶がなくなっていて、腹部に熱い感覚がある。知らない間に飲み込んでいたらしい。

 食道を通った液体が熱すぎたためちょっと咳き込む。まあたいした事はないけど。

 慧音はお茶を飲み終えると、首を回したり、自分で肩を揉んだりしていた。首を回したときには「痛たた」、と口から言葉が発せられ、ゴキッという不気味な音が間接から発せられた。肩を揉んだときは物足りなそうに小さくため息をついていた。

 教職、それに加えて里の防衛。私の頭にはすぐに慧音が辛そうにしている理由が浮かんだ。でも一応聞いておこう。

「仕事?」
「ああ、結構大変でな」

 あっけらかんと言ってのけるけど、慧音の大変と普通の人の大変とを等式で結ぶのは早計ってやつだ。慧音は半分妖怪でもあるのだから、人間の男よりもはるかに体力がある。慧音の『大変』は人間では過労死に値する、と考えてもまんざら間違いではないはず。

 それにしても慧音大変そうだな。私はどうしようかと考え、視線をさまよわせた。片付いた机の上に、写真立ての様なケースに入った光沢のあるカレンダーが光を浴びて輝いていた。

 そうか、今日は……。

「……慧音」
「何だ?」
「そのまま、じっとしててね」
「あ、ああ」

 私は慧音の背後に回りこみ――。

「妹紅?」

 彼女の肩に手を添え、手加減して揉んだ。一応私だって輝夜と戦うために腕力はつけている、本気で揉むと慧音の肩が砕けかねない。慧音の肩は、ちょっと揉んでみただけなのに、相当凝っている。

 慧音は私の突然の行動に驚いて身動きできないらしい、私が口を開くまで、慧音はおとなしくしていた。

「慧音、どう?」
「ああ、ちょうどいい」

 慧音はちょっとそっけなく、私に返事をした。しかし慧音の耳は真っ赤に染まっていて、この頭の向こうがどんな表情をしているのかは言うまでもなかった。

 でも、意地悪な私は、言う。

「慧音、顔真っ赤でしょ?」
「ば、馬鹿を言うな! そんなはずがないだろう!」
「じゃあこっち向きなよ」
「ぐ……」

 勝利を確信した私はそれ以上の追求をやめ、再び慧音の肩を揉み始めた。再び、と表現するわけは、いつの間にか私の手が止まっていたからだ。

「慧音、今日は何の日か知ってる?」
「……母の日だな」
「そう。……慧音は私にとってお母さんみたいな存在だよ」
「友達だと思っていたが」
「そうじゃなくて、いつも私に優しくしてくれるところが、子供を見る母みたいな感じだよ、ってこと」
「どこかの式には負けると思うぞ?」
「それは否定しない」

 あの一家は今頃仲良くしていることだろう、想像に難しくない。あの狐、今頃幸せだろうなあ。

 沈黙が、続いた。でもそれは面白くないギャグを言った後の冷たく気まずいものではなく、暖かい、決して壊されたくないものだったと私は思う。少なくとも、私にとっては。

 いや、慧音の暖かい肩から彼女の気持ちが伝わってくる、慧音もきっとこの空間と時間を邪魔されたくないと思っているに違いない。

「あれ?」
「どうした?」
「いや、なんでもない」

 窓の外を見ると、さっと黒い何かが横切ったような気がする。風で木の葉でも飛んだのだろうか。気になったけど、私はこの時間を壊されることが許せなくて、出そうになった言葉を飲み込み、代わりの言葉を慧音に贈った。

「慧音、いつもありがとう」
「……こちらこそ、ありがとう」

 それから私は、慧音が五回もういい、と言うまで、慧音の肩を揉み続けた。彼女がちょうどいい、と言った力量で。

 そうだ、後で寺子屋の子を呼んで慧音の肩を揉ませよう。……余計慧音が疲れるか?



 ★



「永琳」
「何でしょうか、姫?」
「そのままじっとしてて」

 輝夜は、頭に疑問符を浮かべる永淋の背後に回りこみ――彼女の肩に手を添えた。


あとがき

母の日用に用意した作品です。
私はカーネーションを買いましたが、皆様は何かなさいましたか?
まだの方は今からでも、ぜひ。

時間があれば八雲一家のも書いてみたいのですが……。

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