水ジェット付き瓢箪ロケット

 瓢箪が飛んだ。口から水を噴いて。
「はい?」
 水が顔を打ったというのに、頭が付いていけず、判断が遅れた。
 気づけば、瓢箪は萃香の手をすり抜け、神社の障子を破り、辺りは水浸しになっていた。まるで、横殴りの雨が降ったかのように。
 やっと、思考が落ち着いてきた。遅れを取り戻そうと、大急ぎで頭が回転する。
 待て待て、考えろ。最近は雨が降っていない。しかし、こんなに濡れている。どういうことだ? そうか、瓢箪だ。瓢箪から水が噴いたんだ。
「え、えええ!?」
 水を吸い始めた畳や、染みができた壁を無視して、萃香はひたすら瓢箪を追った。瓢箪が噴く、水を被りながら。

 人間の里のすぐ近く、二人の式が、仲良く歩いていた。猫のほうの式――橙は楽しそうにスキップしながら藍の周りをぐるぐる回っている。
「こらこら、そんなにはしゃぐとあとが辛いぞ」
 狐のほうの式――藍は橙を優しく注意し、前方に向き直った。そこで固まる。
 なんだあれは。……点だ。うん、違いない。じゃあ問題ないか。一度瞬きをする。
 その隙に、それは点とは呼べない大きさになっていた。いやな予感が藍の体を走る。
 橙はまだ自分の周りを回っている。これはまずい。藍の思考が脅威の速さで回転し、何通りもある道筋から、ひとつの答えを導き出した。
 道を間違えたという事を、半分理解しながら。
 藍は、咄嗟に橙を持ち上げ――それでも怪我をしないように気を使い――草の密集地帯に放り投げた。一緒に跳んでもよかったのだが、とりあえず橙を救いたかった。親というのは、そいういうものなのだ。
 運命は親には冷たかった。
 橙が体を起こし、藍のほうを振り返ったときには、藍はもういなかった。
 ただ、黒い二本の平行線が、藍が立っていた地面に引かれているだけだった。
 橙が振り返ると、いた。体を『く』の字に曲げている藍が。しかし進行形で小さくなってゆき、追いつけない。
「藍様……」
 橙は誰に聞かせるわけでもなく、一人で呟いた。
「かっこいい……」
 道を間違えたと先述したが、そうではなかったかもしれない。自らの美しいイメージを保つことには、藍は成功していたのだ。

 藍は腹部から水を噴き――いや、違った。腹部に水を噴く瓢箪を抱え、踵を地面に植えつけるかのように踏ん張っていた。しかし、努力むなしく、止まることなく後方に進んでいる。
 地面は摩擦熱によって火を噴き、瓢箪から噴出される水によって鎮火され、あとには蒸気と黒い二本の線だけが残っていた。藍の努力の跡であり、さきほど橙が見たのと同じものだ。
「うわああああああ」
 腹部を圧迫されているにもかかわらず、藍は叫びながら後退していった。その姿を見ると、間抜けだがファインプレーであることがわかる。流石八雲紫の式だ。仮に観客がここにいれば、皆歓声を上げただろう。
「ぬおおおおおおお」
 腹部にめり込む瓢箪を、藍は必死に退かそうとする。しかし、それは物凄い力で、どうにもできない。『く』の字の格好のままで、背中から岩に激突した。
「ごふっ」
 ここで止まればよかった。だが、運命はまたもや非情だった。何かが壊れる音を藍は聞いた。できれば聞きたくなかったのだが。
 岩の悲鳴は、あっさり断末魔へと変わり、藍の耳に届いた。同時に、岩が崩れて藍は再び投げ出された。
「どうすればいいんだあああ」
 風に流される藍の声。それはまるで、竜の咆哮のように恐ろしい声だったと、後に人は語る。

 二本の黒い線を、萃香は必死に追いかけていた。出遅れたため瓢箪には追いつけなかったのだが、途中で空を尊敬のまなざしで見つめる橙に遭遇し、事情を聞いたのだ。それ以来、この黒い線を追いかけている。
 瓢箪のことを想いながら、萃香は走る。
 あの瓢箪は、とても大切なものなのだ。絶対に手放したくない。
 不注意で、その辺に落として届けられたこともあった。賭けに負けてとられた事もあった。他の酒が飲みたくなり、瓢箪を香霖堂の店主に売りつけたこともあった。
 本当に大切にしているのかが疑われるのだが、萃香なりの大切な物の扱い方なのだろう。納得しがたいが。
 萃香はさっきよりも急いで、瓢箪を追い始めた。

「ふんふんふ――うあっ!?」
 風が真横を通り抜けたと感じる間もなく、魔理沙の体は水浸しになっていた。犬のように体を震わせ、纏わりついた水を振り払う。
「なにすん……な!?」
 叫んで文句を言おうとした。しかし、怒るべき対象はすでに拳ほどの大きさになっていた。
「ど、どこの誰か知らないが、負けないからなああ!」
 魔理沙は競争本能をそそられ、追跡を始めた。
「おいこら、水で威嚇するなんて、なんてやつだ! 人間の里は大変な水不足なんだぜ!」
 魔理沙は単純な競争心と、水を無駄にする不届き者に対する怒りで、瓢箪を必死に追いかけ、追い抜こうとした。
 ちなみに、水浸しにされた怒りはすでに忘れられている。
 魔理沙はただ追いつくことだけを考え、猛スピードで飛んだ。

「うああああ――」
 相変わらず黒い平行線を引きながら、藍は叫んでいた。先程、ついに靴が擦り切れた。
 藍とて、ただ瓢箪に押されていただけではない。苦しみながらも、ひとつの案を考えていた。
(よし!)
 力を腕に集中させ、瓢箪を下に押し込む。瓢箪は下がらなかった。しかし、藍の計算は間違えていない。
 代わりに藍の体が一瞬浮き、馬跳びをするように瓢箪を跳び越える――はずだった。
 計算は、惜しくも間違っていた。それは、数式のプラスとマイナスを間違えたようなもの。小さく見えるが、実は大きな落とし穴。
 計算を狂わせたのは、以外にも藍の服だった。長い服の足の辺りで、瓢箪を巻き込んだのだ。
 藍は予想外の出来事に驚き、反射的に足を閉じた。その結果、足で瓢箪を挟むような形になり、再び瓢箪と旅を共にする運命になってしまった。
 このままでは顔面から地面に落ちる。藍は瓢箪の底に掴まろうと、体を曲げて手を伸ばした。
 やっと瓢箪に手が届いたとき、何かが瓢箪の底にあることに気づいた。
(なんだこれは)
 ダイアルのようなものだ。藁にもすがる思いで、それを左に回した。
 すると突然、水が止まった。一瞬で止まったため、瓢箪は落下、藍は顔から地面に突っ込んだ。
「ぶはあ!」
 思考が一瞬の出来事についていけず、顔をあげ、周りを見回す。
 人間の里だった。気づけば公衆に注目されている。
 恥ずかしくなり、藍は赤面して視線を地面に落とした。緊張と羞恥で上手く回らない舌で、もごもごと弁論しようとする。
「いや、その、これは……」
「待てええええ!」
「水の無駄遣いは許さああん! そして私と勝負だああ!」
 そんな藍に、救いの手が差し伸べられた。萃香と魔理沙の二人だ。
「やっと捕まえた、私の瓢箪!」
「うわ!」
 追いついたのだが、突然のことで止まれず、魔理沙は地面に箒と一緒に突っ込んだ。鈍い音があたりに響いた。魔理沙は動かない。そのまま気絶してしまったようだ。
 萃香は魔理沙に構うことなく瓢箪を抱きしめ、早速酒を飲もうと瓢箪をひっくり返した。酒は出ない。
「あれ」
 瓢箪の口を、萃香は覗き込んだ。空っぽだ。
「む?」
 萃香が、瓢箪の口を自分に向けたことによって、萃香の正面にいた藍の方に底が向いた。
 底に何かがある。タイマーのダイアルのようで、目盛りがある。
『止・滴・微・弱・中・強・激・鬼』の八つに分かれていた。
 藍は気になり、『中』にあわせた。
「うわっぷ!」
 萃香の顔に、水がかけられた。
「げほげほ、くそう、香霖堂の店主だな……」
 鼻に入ったらしく、苦しそうに咳き込みながら、恨み言を呟く。
 前に質に入れたときに改造されたのだろう。
 脅してでも元に戻させてやる。萃香は心に誓った。
 とりあえずやるべきことを終えると、やっと回りを見回す余裕ができたらしい。
「あれ、皆こっち見てる……」
 さっきよりも多くの人だかりができていることに、萃香もやっと気づいた。顔が紅潮してゆく。一人芝居。
「いや、その、これは……」
 先程の藍のように、弁論を試みる。
「あの……」
 それを聞いてるのかいないのか、一人の老人が、萃香に、恐る恐る近寄った。
「よければ……水を少し分けて頂けませんか?」
「私も……」
「僕も……」
 みな、声がかすれている。喉が渇いているときに出る声だ。萃香は、置いてけぼりにされ、戸惑った。
 五里霧中の萃香に道を示すように、小さな女の子が萃香に駆け寄った。萃香より少し背の高い子だ。
「この辺りには、しばらく雨が降っていないのです、お願いします!」
 体が震えている。緊張しているのだろうか。もしかすると、怯えているのかもしれない。
 普通、人間が妖怪に近寄り、懇願するなど考えられない。よほど切羽詰った様子なのだろう。
 さらには、萃香は鬼だ。妖怪の中でも、鬼といえばわりと認知されている。相当怖いはずだ。
 それなのに、近寄る。先述したが、ただ事ではない。
「とりあえず、桶を持ってきて。底に水を注ぐよ」
 萃香は勢いに圧され、指示を出した。
 人々は、すぐに桶を用意した。

 巨大な桶に水が注がれる。人々は駆け寄り、水を啜った。中には、小さな容器に水を汲み、畑に水を撒く人もいた。
「……雨、降ってないのか」
 周りを見る。先程は人だかりしか見えなかったが、よくみると、稲や作物の元気がない。水が足りないのは明らかだった。
 萃香は考えた。今は自分がいるから、水がある。しかし、自分が去ってしまったあとは、彼らはどうするのだろう。
 岩に座り、萃香は瓢箪の水を飲んでいた。藍はそばに立ち、のんびりと空を眺めていた。
「なあなああんた。雨降らせないか?」
「私が結婚すれば何とかなるかもしれない」
 本当か嘘かわからない冗談に、萃香は苦笑する。おそらく無理だろう、とわかっているのだ。
 くだらない話をしていると、先程の少女が自分の分の水を持っておずおずと寄ってきた。萃香はそれに気づき、威勢良く尋ねた。
「おう、どうした?」
「あの、ありがとうございます」
 まだ少し震えているが、萃香は危険でないと確信したのか、先程よりも落ち着いた様子で舌を回している。
「いや、別にいいさ。
 で、これからはどうするんだ?」
「え?」
「いやだってさ、雨、これから降るとは限らないだろ?」
 少女は迷うことなく答えた。
「祈ります」
「届くのか?」
 無理だ。今までも祈ってきたのだろう。しかし、日照は日照。そんなこと、萃香にもわかっているのだ。
 案の定、少女にも答えられない。
 萃香はため息をつき、続けて水を飲む。やがて、中年男性のように、「ぷはあ」と息を吐いた。
 少女はそれを見て苦笑し、水を一口飲んだ。
「水って美味いよな」
 萃香の言葉に、少女はこくこくと何度も頷く。味はない液体。だが、この村にとっては、どんな高級料理よりも必要で、大切なのだ。
 萃香は水をもう一度飲む。鼻から小さく息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「目、瞑れ」
 その言葉に反応した藍が興味深そうに、萃香の方を見つめる。その口は、優しく笑っている。これからの未来を、いち早く見たのだろう。
「は、はい……」
 少女が目を閉じる。
 萃香は瓢箪の口を少女に向け、底のダイアルを回し、『中』にあわせた。
「きゃあ!」
「ははっ!」
 少女の顔に水が直撃し、悲鳴を上げる。水が鼻に入ったらしく、げほげほと咳き込み、手で顔を庇う。
 萃香は水を止め、瓢箪を少女の目の前の足元に放り投げた。
 藍の袖を引っ張り、二人で飛ぶ。顔を拭い終えた少女が瓢箪を発見する。
「それ、もう使えないんだ。大事にしてやってくれ!」
 酒の出ない瓢箪など、自分にとって役に立たない。これでいい。萃香自身が決めたことだ。
 少女が濡れた顔のまま、笑って手を振る。
「ありがとう、ありがとうございます!」
 その場で跳ねながら、何度も礼の言葉を繰り返す。
「手が滑ったなあ」
 萃香は藍に言う。藍は何も言わず、ただ頷いた。冷やかそうと思ったのだが、やめた。
 少女が豆ほどの大きさになる。
「さて、霊夢から奪って酒を飲むか!」
 あの瓢箪に対する、ただひとつの別れの言葉なのだろう。虚勢に包まれた真の言葉を、藍は間違いなく聞き取った。

 そんな中、魔理沙がやっと目を覚ました。瓢箪を持っている少女の下に駆け寄り、瓢箪を調べる。
「あれ、これは……」
 その瓢箪には、見覚えがあるらしく、少女から瓢箪を受け取り、じろじろと穴が開くほど観察し始めた。

「この馬鹿!」
 と怒られることを萃香は覚悟していたのだが、霊夢はただ、静かに「おかえり」とだけ、萃香にかけた。霊夢は無表情で、考えが読み取れない。
「やべ、怖ええ……」
 いっそ怒鳴り散らして欲しい。そのほうがまだましだ。平静を装い、いきなり夢想封印を喰らうよりは。
 部屋はこの部屋で何も起こっていなかったかのように、綺麗になっていた。霊夢が掃除をしたに違いない。犯人が自分だということに、気づいていないはずが無いのだ。
 黙々と家事をする霊夢は、萃香にとっては恐怖の象徴でしかなかった。
 いつ、この恐怖が終わるのだろう。いつ、審判のときはやってくるのだろう。
 恐怖を早く追い出したい。萃香は、霊夢に話しかけた。
「なあ……水浸しの件だけど……」
「ぶ」
「ひっ」
 霊夢が奇妙な音を立てた。萃香は心のそこから怯え、小さな悲鳴を上げた。
「あははははは!」
 霊夢が狂ったように笑い出した。萃香の体のすべてが凍てつき、金縛りにかかったように動けなくなった。ついに、そのときがやってきたのだ。
「ご、ご、ごめんなさい!」
 倒れるように土下座をし、霊夢に謝る。霊夢はぽかんとした表情になった。
「え? ああ、別にいいわよ」
「は?」
 首が振り切れんばかりに顔をあげる。笑いをこらえ、震えている霊夢がいた。
「付いてきなさい」
 まだ震えている声で指示を出す。台所に萃香をつれて行き、霊夢は棚の中に手を伸ばす。引き出し、萃香に差し出す。
「はい」
 瓢箪があった。さっきまで追って、そして確かに少女にあげた筈の瓢箪と、瓜二つのが。萃香は目を見開いた。
「……え?」
「あはははははははは!」
 もう一度、波が来たようだ。腹を抱えて大爆笑し、涙を浮かべながら、萃香に説明する。
「さっきのは偽者よ。面白そうだから、霖之助さんにもらったの。
 あんたの瓢箪をモデルにした、無限に水を噴出すことができる瓢箪なんだって。なんと水力調整機能付き」
 水不足の世の中を何とかするために、作ったんだって。あんたには感謝してたわよ。
 と、霊夢は付け足した。笑いながら。よくこれだけの台詞を言い切れたものだ。所々吹き出していたが。
 ぽかん、と萃香は口を開いた。思考がぐるぐる回り、把握できずにショートする。
「ま、お疲れ様。楽しかったわ」
 その場に居合わせなかったのが残念だけどね、と霊夢は苦笑した。鬼である自分より鬼だった。
「ほら、飲め」
 ぽかんと開いた口に、霊夢は瓢箪を突っ込んだ。萃香はもごもご言いながら、酒を飲んだ。むせた。
 これで許してもらえるだろう。と、霊夢は思った。霊夢が今服を脱げば、隠しようのない黒光りした腹が現れることだろう。
 霊夢の予想通り、萃香は足元がふらつき、縁側へと向かっていった。酒を飲む際の萃香の指定席だ。作戦成功だ。
「霖之助さんも、器用よねえ……」
 霊夢は不適に笑った。今度は何を貰おうかと考えながら。

「まったく、霊夢のやつめ」
 愚痴をこぼす。しかし、霊夢を罵ろうとは思わなかった。
 霊夢の、策が成功していたという思い込みは、大間違いだ。許すつもりはない。
 しかし、生まれたはずの怒りはすでに無かった。
 先程の少女の幻が、すべて打ち消してくれたのだ。
 瓢箪を傾け、酒を飲む。いつもの調子が戻ってくる。
 違和感があった。酒のせいではないし、味が変だった訳ではない。ただ、今飲みたいものとは、微妙に違うのだ。
 そうか、飲みたいのはあれだな。
 迷うまでもなかった。ここにあの少女がいないのが、非常に残念だが。
 萃香は息を吸い込み、霊夢に向かって十分すぎるほどの声で、それを求めた。
「霊夢、水をくれー!」



【あとがき】
こんぺに出してみました、作品です。
正直なところこちらよりもうひとつのほうが面白いと思っていたのですが、なぜかこちらのほうが点数が高かったようです。
ですが、楽しんでいただけて悪くは思いませんねー、嬉しいです。

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