夜空の星

*注意*
オリキャラがこれでもか、と言うほど重要人物です。
オリ設定含んでいます。

それと、この作品にだけ使っている印がありますので説明させていただきます。
☆は日、月、年が変わるときに用います。
★は同日で、場面が転換するときに用います。

以上です。
読んでくださる方はお手数ですが下へスクロールをお願いします。













前書きの最後に、進んでくださってありがとうございます、お楽しみいただけますように。













「困ったわ」

 間を伸ばすようなありきたりの台詞を吐き、同時にため息を吐き出した。こんなことを呟いてもどうにかなるものではないとわかっていながら、無意識に何度でも吐いてしまう。そういえばこの言葉、二十七回目よねぇ……。はあ……。

「どうしましょうか?」

 藍の発する、普通の人なら尋ねるであろう疑問が鬱陶しい。藍が悪いわけじゃあないのだけど、それでも腹がたつ。決めているならもうとっくに返事を出しているのだもの。

 藍も何故かちょっとそわそわしている様に見える。藍の指は意味もなく畳を引っかき、九尾の尻尾は音は、しないものの鞭のように畳を叩いている。

「食べてしまいましょう……って言おうと思ったけど無理ね、小さすぎる」

 笑えない冗談を言って間を繋ぐも、意味がない事ぐらいとっくの昔にわかっている。実際この台詞だってちょっと前に吐いたけど、空気は変わらなかった。

 どうして、こうなったのかしら……。自分の首を絞める結果となったちょっと前の自分を殴りたくなるわ。

 ほんの少し前、いつものように私はスキマを開いて、中をランダムに弄くっていた。温度が無いかのように冷たく、無機質な怪しい物体が溢れる中、暖かくて、異色の温度を放つ柔らかい物を感じて弄ってみたところ――それが小さく動いた。今更だけど、悔いる。その時の私はやめときゃいいのに、引っ張ってこっちまで持ってきてしまった。これがそもそもの間違いね。

「やはり人間の子、ですかね?」
「そうみたいね、困ったわ」

 またこの台詞を吐いてしまった。二十八回目、はあ……大妖怪である私がこんなことで悩むなんて……肌が荒れちゃうわ。

 二人の妖怪につまみ出されたこの子はよほど肝が据わっているのか、すやすやと安らかな寝息を立てている。結構可愛いわね。……もちろん食べると言うのは冗談よ、人間の赤ちゃん? って、聞いてるはずないか。

「藍、あなたはこれからどうするべきだと思う?」

 藍にまだ意見を求めてなかった、だから聞いたのだけど……あら、藍。あなた今待ってました、と言いたげな顔をしたわね? 何か言いたいことがあるのかしら?

「う〜ん…………八雲家って二人しかすんでいない割には家が広すぎると思うのですよ」
「ありがとう、言いたい事はわかったわ」

 涼しげなで感情が読めないような顔してるけど藍、目が笑ってるわよ。

 なるほど、あえて私があなたに意見を求めるのを待っていたわけね、この前から子供が欲しい、って言ってたものね、あなた。困りに困ってこの子をうちで引き取るように仕向けたのね。

 しかしこの子にも親というものがいるでしょうに。確かに私は神隠しするけど、こんな幼い子を攫って食べる趣味なんて無い。親がいるなら返してあげてもいいかしら。と言うより無理矢理にでも押し返そう。

 しかし適当に引っ張り出したため、どこから流れてきた子かわからない。どうしようかしらと考えていたけど、すぐに閃いた。少し前にすべての歴史を知っているという半分の妖怪に会ったことがある。彼女なら何かわかるかもしれない。すぐに思い出せたのはこの前会ったのが今夜と同じ満月だったからかしら。

「えっと、何て言ったかしら、確か『け』から始まったわよね……」
「上白沢慧音ですか?」
「そう、それ! ちょっと慧音のところまで行ってくるわ!」

 私は出所が不明の人間の子を起こさないように抱き上げ、歴史のことについて詳しいという慧音のところに向けてスキマを開いた。場所は藍に聞いたので問題ない。


 ==夜空の星==


「う〜ん、不明、ですか……」
「ええ、そうみたい……。『すまないが私にはわからない、調べてみるがかなり時間がかかるから期待しないでくれ』だって。やっぱり藍、この子引き取りましょう」
「そうですね、しかし紫様、この子は人間、私たちよりも寿命は……」

 慧音の台詞の場所だけクールに言ってみた。藍は少し笑っていたけど、私の物真似がウケた訳じゃないわね。藍、手をうずうずさせない。

 そして藍、嬉しいときには手を上げて飛び上がって喜んでもいいのよ? 無理して寿命の話をしなくても。

「わかっているわ。大丈夫、人の死なんて飽きるほど見てるもの」

 多分素直じゃない藍がとっさに考えて言ったのでしょうけど、確かに藍の言う事も道理を外れていない。

 人は私たちよりも圧倒的に寿命が短い。だから人間のこの子は間違いなく親より先に死ぬという最大の親不孝を行うでしょうね。あるいは慧音によってこの子の親が発見され、私の手から離れてしまうかもしれない。

 それでも、何を考えているのか、私はこの子を引き取ることに決めた。自分で自分がわからないけど、まあ問題はないでしょう。でもただひとつ、人間にちょっと興味を持ったということだけははっきりしている。

「そうですか、では名前をつけなくてはなりません、どうしましょう?」

 そういえば名前をこれっぽっちも考えていなかった。人間ってどんな名前をつけるのかしら?

 ……そういえばさっき慧音のところで太郎とか次郎と書かれた名簿があったわね……あら? そういえば――。

 チラリと赤ちゃんに巻かれていた布を捲る。うん、無い。要するに女の子ね。女の子か、男の子と女の子に合う名前があるのよね、多分さっきの太郎や次郎は男の子の名前でしょう。じゃあ女の子にはどんな名前が合うのかしら?

 私に人間の友達……いたかなあ? …………あ!

 私の頭は記憶の引き出しを空ける事に関してはまだ全然現役らしい。ふと、私の頭に一人の人物が浮かんだ。かつて戦った、と言うより今も付き合いを続けている博麗神社というところの巫女。名前は確か……博麗霊――なんだっけ? 

 あの巫女の家系とは知り合いだけど、多すぎてどの名前が誰かわからない。

 確か腋が開いていたから……霊腋? 自分で言っておいてなんだけど、なんだそれは。そんな巫女いなかったわよ。

 霊子? 霊美? 霊香? ……ごめんね、博麗の巫女さん。あなたが腋巫女だということ意外思い出せないわ。……霊蔵庫だったかしら? 違うわよねえ。

 でも一つわかったことがある。次郎や太郎は女の子には向かない、ということ。少なくとも博麗の巫女はそんな名前じゃなかったはず。

 最近あってないから……まあ今度聞いておこう。夢想封印覚悟して。

 それにしてもあれかしら、『霊』と言う字を使うのが流行っているのかしら? だったら――。

「霊奈、何てどうかしら?」

 私の言葉が北北西の微風に乗って藍の耳に入った頃、彼女はポカンと口を開けた。長年の付き合いだからわかる、「紫様の口からそんな立派な名前が……」と驚愕している。何よ藍、あなたの名前をつけたのは私よ? ネーミングセンスがないって言うの? ええ!?

「紫様、それとってもいいですよ、そうしましょう」

 私の腹の底から湧いてきた怒りのような感情の炎は藍の涼しい笑顔に鎮火された。私の怒りは完全スルー。

 こうして、八雲家に霊奈という少女が加わった。その貴重な記念すべき時間の間、主役はずっと指をくわえながら幸せそうに眠っていたけど。指を咥えていたというのはもちろん比喩ではない。

「それにしても今日は夜空が綺麗ね。この子に対する祝福かしら?」
「そうかもしれません――いえ、間違いなくそうでしょう」
「そうね、あなたがそう言うのだから、そうなのでしょうね」

 夜空にちりばめられた銀の星と金の月。四字熟語の花鳥風月の中に星がないのは、いったいなぜかしら?

 ――そして藍、いい加減に私にも霊奈を抱かせてくれるかしら?

 ☆

 霊奈はとても可愛く、そして元気な子だと思う。というより元気すぎるかもしれない。でも、手の掛かる子ほどかわいいとも言う。

 勢い余って壁に激突したり、私の服を破いたり、藍におしっこをかけたりと様々な事をやってくれるけど、それでも私たちは決して霊奈を見捨てることはできない。それが親と子というものなのでしょうね。浴びた者を問答無用で惹きつける構ってオーラが一日中無休で発生しているのはすごいと思うわ。早速、人間の子供と言うのが少しわかった。

 私は今まで人間を捕食対象としか見ていなかったけれど、案外可愛いものだと考えを改めた。なんだか藍が小さかった頃を思い出しちゃった。あの子も数千年前は「紫様〜」って私の後を着いてきてくれたわね――と思ったけどそれほどでもなかった。藍はあの頃から大人びていたのよね。でも家事は私がやっていたかしら。

 今は完全に私を引っ張る立場だけど。昔と今の違いにちょっと苦笑。藍ってここにきたときはすでに赤ちゃんじゃなかったからなあ、赤ちゃんを育てるのは実際初めてになるわけね。

 昔の藍だって甘えたい年頃だったでしょうに、あまり私に甘えなかったなあ、お母さん寂しい。

「あばば〜」

 この子はお母さんって呼んでくれるまでにはまだ時間がかかりそうね。

「なあに? 霊奈ちゃん?」

 それでも、いつかはお母さんって呼んでくれるわよね? その前にママって呼んでくれるかしら?

 霊奈は私の胸に飛び込むと、そのまま動かなくなり、やがて寝息が聞こえるようになった。

 赤ちゃんというのは寝るのが仕事で、霊奈もサボったりはしない。仕事に真面目に取り組む子みたい。ちなみに藍はよくサボっていたわ。家事なんかをよく手伝ってくれたのよね……。やっぱり、お母さん寂しい。

 私は霊奈が寝ているのを確認し、一冊の古い本を取り出した。特に使い道がないので日記として使うことにする。

 今日の日記。

 家族が増えたのでここに記録しておく。
 名前は霊奈、もちろん女の子。
 とても可愛いけど、人間の子みたい。
 人間の一生には詳しくないので、霊奈の成長日記をつけることにした。
 現在0歳、もちろんまだ喋れない。
 いつかはママ、あるいはお母さんと呼んでほしい。
 そういえば、母乳は出ないのでその辺りは適当に人間の女を攫って飲ませる。
 迷惑な事この上ないと思うけど、生かしてあげるのだからまあいいでしょう?

 ☆

 時間が経つと人間の子にも毛が生える、この子にもちょっと前から綺麗な黒髪が生えてきた。まだ気付くことは無いでしょうけど、いずれ私たちと髪の色が違うと言うことに気付き、本当の親子じゃないって知ってしまうかしら……ちょっと心配ね。

 それにしても……小さな子供の髪の毛って柔らかい……。撫でると、風が流れるように小さく舞う。

 そういえば博麗の腋巫女も綺麗な黒髪よね。でも霊奈のほうが綺麗に違いないわ。あんな腋巫女に負けてたまるものですか。

 今日の日記。

 霊奈一歳。
 霊奈に綺麗な髪が生えてきた。
 髪の毛を乱さないように頭を撫でると喜ぶ。
 本当に子供って可愛いわね、出来ることならもう一人欲しいわ。
 でもやっぱり一人でいいかな、この子が大きくなるまでは。

 ☆

「この子が霊奈ね!? うわあ……可愛いなあ……」
「やめんかい、霊奈ちゃんが穢れる。それにどこから聞きつけた」
「あんた私をなんだと思ってるのよ」
「病原菌」
「酷いわねえ……あばば〜」

 私を無視して霊奈に向き直る博麗の巫女。霊奈、あなたもなぜそんなに博麗の巫女になつくのよ、ママを忘れたの? 酷いわ、よよよ……。

「聞いてるの? どこから聞きつけた」
「ああ、何となくよ何となく。何となく同じ人間としての気配が教えてくれたのよ」
「そういうものなのかしら?」
「私にもわからないけどね」

 と言うことは私もそばにスキマ妖怪が現れたりすると気配を感じるのかしら? あ、でも藍が寄ると気配を感じるわね。それに似たようなもの?

「今度私のうちに来る〜?」
「あばば〜!」
「決まりね」

 はあ、勝手に決められてるし。霊奈は何故かこの巫女になついてるし。ああ、鬱だわ、よよよよ……。

 それにしても、この巫女子供を懐かせるのが得意みたいね。同じ人間だからかしら、でも今まで育ててきた私より懐いてるっていうのはちょっと悔しいわね。いえ、珍しいだけかしら? ここには私と藍、そして授乳用の女しか見ることはないから。あれ、でも授乳用の女には懐いてなかったような気がするわ。愛情が湧かないように毎日女を代えるからかしら?

「このままじゃ私の子になっちゃうかもね〜?」
「死ぬ?」

 でも、私のような妖怪の子供である霊奈を差別せずに接してくれることは、正直感謝している。霊奈と仲良くしてくれるのは、この巫女くらいのはず。そうだとしたら、この巫女には人間でありながらある種の尊敬のようなものを覚える。

 でも、

「さてと、帰るわ。霊奈、さあ帰りましょ」

 この巫女のこういうところは、許すまじ。

 今日の日記。

 博麗の巫女が霊奈が生まれたことを聞きつけて湧いてきた。
 霊奈のことを気に入っていたみたい。
 あの子は妖怪の子である霊奈を差別せずに接してくれる。
 正直、嬉しかった。
 せっかくそこまでは感謝していたのに霊奈を連れて帰ろうとしたからスキマ送りにした。
 今頃はどのあたりを流れてるかしら。

 ☆

「じゃあね、霊奈ちゃん。大丈夫よ、すぐ戻ってくるから」

 霊奈に説得するけど、聞く耳持たずに泣き続ける。その泣き声を聞くと私も心がつぶされそうになるほど悲しくなるけど、こればかりは仕方がない。

 窓の外は両手を広げても掴みきれないほどのたくさんの白い花びらが散っていた。少し暖かくなると儚く消える、短き命を与えられた魔法の花びらが。

 いよいよ私の冬眠の時期がやってきた。今年は三歳になり、物心がついてきた霊奈のことを考えてちょっと時期を遅らせたけど、やはり避けられない。

「藍、霊奈ちゃんと成長日記をお願いね」
「わかりました、お任せください」
「霊奈ちゃん、お外に咲いているお花がね、桃色になる頃にまた会えるから、ね?」

 ぎゃあぎゃあ泣き続ける霊奈を抱きしめ、頭を撫でてやる。霊奈はやだやだと言っているつもりなのでしょう、私の服をどこにそんな力が、というほどの力で掴んでくる。私の紫色の服に霊奈の涙の染みがつき、さらに濃い紫になる。

「よしよし、大丈夫よ? 絶対帰ってくるから」

 この子が大好きな子守唄を唄ってあげよう、そう思って霊奈に顔を近づけ、小さな声で唄ってあげる。

 この唄には私は独特のイメージを持っている。場所は、広く、風の吹く音しか聞こえないような、一面緑の寂しくも美しい草原。その草原にはたった一本の大きな樹があり、樹の下に一人の女性と、その女性の胸に抱かれている赤ちゃんがいる。

 女性が子供に風の様に小さな声で、優しい風に吹かれながら朝の日差し――木漏れ日の様に優しく唄う。これが、私のこの唄に対するイメージ。だから私はこの唄を唄う時は必ずその情景をイメージし、それを尊重する。出来る限りの優しい声で、静かに唄うのが、私流。

 そういえば昔藍にもよくこの唄を唄ってあげたっけ……藍も好きだったのよね、この唄。あの時の眠気には逆らえずに、でも必死に寝まいとする藍可愛かったなあ。――あ、もう少しね。

 霊奈のまだ少し濡れている目が徐々に細くなってゆく。時々まぶたが閉じ、慌てたようにぱっと開く。何度もそれが繰り返される。こうなればあと一息。ああ、しばらくはこうして霊奈を寝かしつけることも出来なくなるのね、寂しいわ。

 唄もラストスパート。しかし激しさはまったく無く、静かに、優しく、終わりは訪れる。唄が終わったと同時に、霊奈の瞳から頬を伝った最後の涙が畳に落ち、霊奈は寝息を立て始めた。

 しばらく霊奈の可愛い寝顔を眺めたかったけど、愛しくなって今度は私が冬眠できなくなってしまう。多分無意識に、ゆっくりと藍に霊奈を差し出した。ゆっくり渡したのは霊奈を起こしたくなかったからだけではないと思う。

「藍、お願いね。おやすみ……藍、霊奈ちゃん」
「畏まりました、おやすみなさいませ」

 私はこれ以上霊奈を見ていることが出来なくて、襖を閉めて藍以外に開けられないように結界を張った。この年の冬という名の夜は、なかなか寝付けなかった。

 今日の日記。

 冬眠する前に、今年最後の私の日記を書いておく。
 明日からは藍に任せるのでしばらく私は書かない。
 今日から冬眠と言うことで、霊奈としばらくお別れ。
 春になったらまた会えるけど、霊奈はなかなか泣き止んでくれなかった。
 あの子の好きな子守唄を唄ってあげたら何とか寝てくれたけど、ちょっと可哀相な気がした。
 でも、あの子にもいずれ私の冬眠のことは慣れてもらわないといけない。

 ☆

 真っ黒の、暗い世界に光が差す。目が醒めて最初に映ったのが、藍の嬉しそうな表情だった。

「……おはよう」
「おはようございます、霊奈が待っていますよ」
「……ええ」

 まだぼーっとしている頭を無理矢理起こし、私は上体を起こした。けどすぐに飛び掛ってきた何かに上体は勢いよく倒された。ほぼ同時に腹部に強烈な痛みと重みが……苦しい。

「こら、飛び掛ってどうする」

 藍がめっ、と霊奈を軽く叱る。霊奈はごめんなさい、とおぼつかない口調プラス全然反省していない様子で藍と私のほうを交互に見て謝った――のだと思う。

 私は咳き込みながらも、夢の中にも出てきた疑問を霊奈に聞いてみることにした。

 何をして遊びたい? と。

 霊奈はその言葉に答えるように私に飛び掛り、私に頬ずりをせんばかりの勢いでくっついてきた。私も同じく霊奈を近づける。最初から答えを聞く必要などなかったみたいね。

 完全に忘れていたため、放っておいた藍のほうを向くと、藍はにこにこしているものの、羨ましそうな顔をしている。その藍を見て、私と霊奈が同時にニヤける。藍がいやな予感を察知したように座ったまま一歩引き下がった。しかし彼女はシマウマ、私たちは二匹のライオン。逃げられるはずが無い。

「それ〜!」
「わあ〜霊奈、紫様! 私の尻尾の中にもぐりこまない! って、聞いてるのか、聞いてますか!? こ、こら、くすぐったいですって!」

 霊奈と同時に藍の尻尾の中でもふもふする。藍が振りほどこうとするけど、私たち二人にかなうはずが無い。ついに藍はあきらめ、とうとうおとなしくなった。

「霊奈ちゃん、私たちの勝利ね」

 霊奈はきゃっきゃと喜び、藍の尻尾の触り心地を堪能した。霊奈、わかってるじゃない。

「ぎゃあ! 痛い痛い!」

 噛み付いたのかしら? 藍が泣きそうになりながら悲鳴を上げる。あそこが藍の急所みたいね、覚えておこう。右から三本目のほかよりちょっと太めの尻尾っと。

「痛いって、霊奈! やめないか! 紫様〜!」

 今日の日記。

 春になったので私が霊奈の世話に戻ることになった。

 夢にも霊奈は何度も出てきた、私に会いたかったのでしょうね……いや、私自身も会いたかったからでしょう。
 今日はたっぷり藍の尻尾で楽しんだ。
 霊奈も私に似て、あの尻尾が大好きみたい。
 これからもあの尻尾をおもちゃにしてもらおう。
 それにしても時間が経つのは早い、この前まで話すことも出来ない赤ちゃんだったのに今ではもう三歳。
 この子も十分育ってきた、そろそろこの世界に対応できるように弾幕の張り方を教えたほうがいいかしら。

 ☆

 腋巫女がまたマヨヒガにやってきた。あの暇人が。

「何の用かしら?」
「霊奈を見に来たわ。私に似てると思わない、あの子?」
「似てるわね、顔と髪の毛が。ざっと一割ね。残りの九割は私似よ」
「それって実際どうなんだろう……」

 空間に浮かんだ三点リーダーのすぐ後に何か付け加えて言いたそうね、言ったら殺すけど。殺意の視線を向けておいた。

「何か寒気がしたわ、お茶頂戴」
「自分で淹れれば?」
「わかったわよ」

 特に期待してないわよと言いたげに巫女はさっさと茶缶の中身を適量、急須の中に入れて二人分のお茶を淹れた。いい感じの緑色に浮かぶ白い湯気。う〜ん、風流じゃない。味のほうはこの巫女が淹れたお茶だから飲まなくてもわかる、飲むけど。

「そういえば霊奈だけどね」
「うん?」
「あの子、私にく――」
「あの子は私の子よ」
「……ちっ」
「盗んじゃ駄目よ」
「……ちっ」

 盗むつもりだったのね。と言うよりそれ誘拐よ。少しでもそんな素振りを見せたらまたスキマ流しにしてやるわ、ふふふ。今度はどこに送ろうかしら?

「せめて博麗の巫女服を――」
「駄目」
「……何よ、親ばか」
「勝手に言ってなさい」
「むぅ……」

 窓の外で遊ぶ霊奈を眺める博麗の巫女。視線をちらちら動かし、ひい、ふう、みい、と何かを数えている。

「何やってるのよ?」
「…………」
「ねえ」
「……ふふっ」
「は?」
「はははっ、紫敗れたり!」

 突然意味不明なことを言い出したかと思うと、さっき自分で淹れたお茶を一気に飲み干した。うわ、熱……。

 ものすごい早さで飲み終わったと思えば、今度は湯気を口から吐き出した。

「じゃあね〜ははははは!」

 飛んでいった。この奇妙な時間はいったいなんだったのかしら? そして敗れたり、って何?

 あの腋巫女の作った、空中で浮遊している湯気の輪が、企みに気付かない私を馬鹿にしているように見えた。

 今日の日記。

 巫女が来た。
 何か訳がわからない内に帰ってしまった。
 いったい何だったのかしら?
 それよりも霊奈の身が危ないような気がする。

 ☆

 今日は博麗神社にお散歩。神社の裏、今の季節なら昼にはセミが、夜には日暮の合唱を聞くことが出来る素敵な場所。霊奈も私も、ここはお気に入り。ここを管理してるやつは気に食わないけど。

「いらっしゃい、お茶飲む?」
「貰おうかしら」

 お茶を勧めてきた巫女の目は私のほうを向いておらず、ずっと霊奈を見ている。やはりまだ狙っていたのね、渡さないわ。

「そうそう紫、ちょっと来て」
「何よ?」

 霊奈には神社の裏で遊ばせ、私たち二人は神社の正面に戻ってきた。

「博麗の巫女服作ってみました、もちろん霊奈用」

 語尾に音符がつきそうになるくらい可愛い子ぶり、失敗しちゃった、見たいな感じで霊奈にジャストフィットするであろう巫女服を広げて見せる博麗の巫女。

「……」

 私は勝ち誇ったように笑う博麗の巫女から腋巫女服を受け取り、

 ぽいっ。

「あー! 霊奈の巫女服ー!」

 あの巫女服はスキマツアーを楽しんでくるといいわ。

 今日の日記。

 博麗神社にお散歩。
 霊奈のお気に入りの場所は、神社の裏。
 確かに綺麗で、私も昔からあそこが好きだった。
 やはり私たちはよく似ている。
 それはともかく、今日腋巫女が霊奈の巫女服を作って私に渡そうとしたので、腋巫女服は手厚くスキマの中に葬った。

 ☆

「お母様、お母様。これあげる」
「あら!? すごいわよ、霊奈ちゃん。ありがとうね」

 霊奈は私に一生懸命描いたであろう私の絵と、『ゆかりかあさま』と大きくタイトルが書かれた絵を私にくれた。これを書き、描くのにいったいどのくらいの時間をかけたのでしょう、考えてみると嬉しくなってきた。

 それに、もう字が書けたというのも驚き。この前教えたばかりなのにこの子は覚えが早い。

 頭を優しく撫でてやると、霊奈は嬉しそうに私に体を預け、そのまま眠ってしまった。やっぱり疲れていたのね。

「ふふ……」

 藍より手がかかる子ね。でも、藍と同じくらい可愛いわ。あー人間食べるの嫌になっちゃったなあ。

 仕方ない、しばらく人間は食べないようにしましょう。よかったわね人間たち、霊奈に感謝しなさい?

 今日の日記。

 霊奈が家族に加わって早五年、霊奈は五歳になる。
 たまに整理しているけどこの子の髪の毛も長くなったと思う。
 あの羨ましいくらい綺麗な黒髪を見て博麗の巫女のことを思い出した、でも巫女の名前は忘れた。
 というのは冗談だけど、あえて書かない。
 そんなどうでもいいことより霊奈のことを書く。
 霊奈が上手な絵をかけるようになった。
 私の絵を描いてくれたので、とても嬉しかった。
 まだひらがなだけど、字も書けるみたい。
 この子は天才かもしれない。
 この絵は大事にとっておこう。

 ☆

「じゃあね、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
「おやすみ〜春になったらまた!」

 また、この時期がやってきた。外に散るのは白い花。毎年来る、冬眠の時期。

「あら霊奈、もう泣かないの?」
「もちろん、私は泣き虫じゃないのよ」
「ふふっ、そうね」

 霊奈は最近まるっきり泣かなくなったと思ったら、春まで会えないという冬眠の時期にも泣かないみたい。強い子に育ったものだわ。

「お母さん、寝坊したら弾幕撃ち込むからね。まだ一、二個しか作れないけど寝てる人に当てるなら簡単よ」
「そうね、いつもより早く起きるわ。だから弾幕はやめて」
「起きたらね」

 最近は成長して強い子になったと同時に生意気にもなってきた。親に弾幕を撃ち込むなんて酷いわ。あの腋巫女のせいに違いない。どんどん霊奈があの子に似てきている。

「霊奈、しばらくは私が相手をしよう」
「はーい、藍様は強いから好きー」
「ちょっと!? 私のほうが強いわよ?」
「はいはい、さっさと寝る!」
「うう〜わかりましたよ〜。藍、霊奈、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」

 襖を閉める前に見た二人の顔は、文句のつけようのない笑顔だった。

 今日の日記。

 今年もこの時期がやってきた。
 今日から書き手は藍に変わる。
 それにしても霊奈は強くなったと思う。
 生意気になった、と言う意味では素直に喜べないけどね。
 次起きたら、どんな子になってるかなあ?

 ☆

 人間はすくすく育つ。人間とは生き物の中では成長が早いのかどうかは私にはわからないけど、やはり賢い動物と言うのは間違いなさそう。だって――。

「お母さん、弾幕ごっこしようよ」

 人間の歳で言うと八歳になる。あれからもう八年経ったなんて信じられない。子供と言うのは成長が早い。

 霊奈は最近になると立派な弾幕を張れる様になり、私とよく勝負をする。もっとも私に勝つことは出来ないけれど、少しずつ差は縮まっているように思う。その辺の妖怪なら私や藍が出て行かなくても簡単に勝てるでしょう。流石に私や藍に勝つのはちょっと無理だけど。

 それにしても大した成長だと思う。博麗の巫女がこの子の事を私でもすぐに倒せない、と褒めていた。そういえばあの子、まだ結婚していないのよね。ちょうどよかった、腋巫女の代はあの子で終わりよ。でも博麗神社名物の腋巫女が見られなくなるのはそれはそれで寂しいかも。

「おかーさーん! 早くー!」
「ああ、ごめんね、さあ行きましょう。今日も頑張ってね」
「もちろん!」

 今日の霊奈の弾幕は、いつもより激しかった。油断していたので私の髪が少し焦げた。明日からはもうちょっと力を入れよう。

 今日の日記。

 霊奈八歳。
 弾幕を張るのが上手になっていると思う。
 この子は直線より曲線の弾幕のほうが得意らしい。
 正確がゆがんでいるなんて断じてない、とても可愛いし素直だもの。
 それにしてもこの子、その辺の妖怪よりも強い力を感じる。
 やはり私の子だからかしら?

 ☆

 霊奈は外で藍と一緒に遊ばせている。今日は博麗の巫女と用事があったからだ。なんか突然押しかけてきて私と霊奈の楽しい時間を引き裂いた。この巫女は『楽園の素敵な巫女』なんかではない『裂く縁の巫女』だ。ちょっと無理矢理かしら? ……無理矢理よね。

「今日は何の用なの?」
「お茶くらいは出さないの?」
「自分で淹れなさいよ」
「わかったわよ」

 二人分のお茶を巫女に用意させた。普通逆だろうと思われるかもしれないけど、ここではセルフサービス。ちなみに料金は私にもお茶を渡すこと。良心的でしょ? この前もこの巫女と同じような会話をしたような気がする。

「さてと、じゃあ用件を言うわね」
「さっさと言いなさいよ」
「あの子に巫女服着せてみました」
「いつの間に!?」

 窓の外で無邪気に遊ぶ霊奈は、いつの間にか紅白の巫女服を……あの、腋巫女服を……あぁ…………。

 ついにこの巫女の毒牙にかけられてしまった。霊奈に感染した、霊奈に感染した、霊奈に感染した…………。

 私が作った服は霊奈のすぐ近くに畳まれて放置されていた。虚しい。畳まれているのが不幸中の幸い――ほんの少しの救いだけど、霊奈にそうさせるように仕向けたのはこの巫女だという事実に、プラスマイナスではやはりマイナスになる。

 でもちょっと――かなり可愛い。八雲の者が博麗の色に染められたと言うのは納得いかないけど、合理的に考えよう。あの紅白の服もあれはあれでいいじゃない、うん。

 それでも、やはり完全には納得いかない。この子ったら、酷いわ。

「病気をばら撒かないでくれる? というよりあれ感染症なのね」
「腋巫女症候群とでも名付けましょうか。英名は……ちょっと考えるわ」
「……感染源はさっさと帰りなさい。それともここで消毒しようかしら?」
「いや、用件はそれだけじゃないのよ」
「……そうよね」

 わかっていた。巫女服を着せたということだけならわざわざ来る必要も、私に報告する必要もない。きっと今の話は私の判断力を鈍らせるカモフラージュでしょうね。あるいは、何か言いにくい事を言うための前置きか。

 博麗の巫女は目を閉じて一度大きく深呼吸すると、小さく息を吐く。部屋の音がすべて呼吸音に吸収されたかのように、たまに聞こえる家の軋みも聞こえなくなった。

 息を吐き終わると博麗の巫女はゆっくりと目を開く。真剣な、博麗の名を持つものしか持てないであろう二つの目で、私の目を見つめた。ついさっきまでは茶化そうと思った私だけど、彼女の瞳を見てそれが出来なくなった。ふざけるときではない、博麗の巫女の二つの瞳と、私の妖怪としての本能が明瞭に告げていたから。

「紫、あなたも気付いているでしょう? あの子……ただ者じゃないわ」
「ええ、八雲の子だからね。博麗の後継者にしろって言うのならお断りよ?」

 半分は冗談で、半分は真剣に私は巫女の話の腰を折ろうとした。次の言葉を聞きたくなかったから。

 でも巫女は、空気が読めない種族らしい。

「あの子は持つ力が強すぎる。あのまま成長すれば……二十歳になる頃には私でも太刀打ちできないわ。多分、あなたでも。このままではあの子の力がはみ出し、幻想郷はあの子からはみ出した力で滅びるわ」
「ちゃんと育てるわよ? あの子はいい子だし、私たちには向かうことなんて無いわ」
「紫、いい加減にしなさい。わかってるでしょ? あの子の力は強すぎて、自分でも制御できなくなる。幻想郷を守るものとして、あの子をどうするかはわかってるわよね?」
「……あなたには関係ないわ、ちゃんと育てて見せるわよ」
「……お茶、飲みましょ。冷めちゃうわ」

 博麗の巫女は私にさっきまでは確かにあった、湯気の見えなくなったお茶を差し出し、飲むように促した。……温い。さっき、巫女が入れた時まであった飲みたいと言う欲求が失せ、半分残して机の上に置いた。

「ちょっと温い、もっと早く飲むべきだったわ」

 そんなことを言いながらも博麗の巫女はお茶を飲み干し、静かに机の上に湯飲みを置いた。コトン――と小さな石と木が奏でる音が静かな部屋に響き、それで――、と巫女は続けた。聞きたくないけど、大切なことだから聞かなければならない。それに聞かなければ、こちらの不利なままに話が進められてしまう。

「紫、あの子は生かしておくには難しすぎる。あの子にとっても、幻想郷にとっても。非情で、酷なことを言うようだけど――」
「殺せ、と言いたいのね」
「巫女という立場上、こんなことは言いたくないけどね」

 博麗の巫女は辛そうに、それでも言うべきことはちゃんと言う。殺せ、と直接ではないものの明確に私に伝えたのだ。この子は巫女である以前に、幻想郷の守護者なのかしら? もしそうなら、この子のいうことは正しい。しかしこの子が守護者である前に巫女であるというなら、この子は道を外れている。

 そう考えているけど、正直混乱している。正しいのは、どちら?

 それでも、私はあくまで博麗の巫女との対立を選んだ。

「従えない、と言ったらどうするの?」
「力尽くでも」

 博麗の巫女の瞳が真剣と迷いからわずかな殺意に変わる。それは現在進行形で、燃料を与えら得た炎のように激しく燃え上がり、煙のように部屋を満たしてゆく。

 わたしの力を使えばこの巫女などすぐに殺すことが出来る。しかし、この巫女を殺してしまうと幻想郷のバランスが著しく崩れる。幻想郷のバランスはこの博麗の巫女、そして私の二人で保たれていると言っても過言ではない。すなわち、彼女に私を殺すことも出来ない。

 しかしこの状況、私は不利だ。私の命は保障されていることは間違いなくても、霊奈は違う。

 窓の外をチラリと見る、霊奈は木に登って遊んでいた。その下には藍の姿が。多分、今は大丈夫。まだ藍がついているから。この巫女は確かに強いけど藍と比べれば際どいところ。私と藍がいれば霊奈を守りきってこの巫女を殺すなど容易い。

 しかし、先ほどの理由から、この巫女を殺すことは出来ない。だからといって巫女も動くことは出来ない。この巫女は迷っている。多分、私も。

 お互いの心が隅々まで見えるような気がする。お互いに、どちらかが気を爆発させればここは修羅場となり、どちらかが我慢すれば丸く収まる。この巫女は、どうするかしら?

 突然、部屋の空気が変わった、博麗の巫女の溜息と同時に。部屋の中を満たしていた黒く邪悪な感情が巫女の中に吸収され、消滅した。

 わかっていた事だけど、よかった。

「紫、今日は帰るけど……また来るわ」
「来ないで欲しいわ」
「来るわ。……大丈夫、あの子はまだ十歳でしょ? まだ力は制御できる。ゆっくりと、決めるがいいわ。あなたが殺すか、私が殺すか」
「……どっちもいやだって言ってるじゃないの」
「どっちかって言ってるじゃないの。……今日は帰るわ」
「さようなら、永遠に」
「…………ごめんね」

 最後に巫女は、そう呟いたと思う。聞き取りにくい声だったけど、確かにそう聞こえた。彼女の瞳には、いつの間にか今までの殺気は失せていた。

 博麗の巫女は玄関から出て行き、藍と霊奈に先ほどの私に見せた表情とは正反対笑顔つきの挨拶をして、飛び立った。

 巫女が淹れたお茶を飲む。冷めていることがわかっていながら飲んだところ、やはり冷めていた。……美味しくない。

 窓の外を見ると、もう巫女は見えなくなっていた。しかし、また来ると言っていた。そしてその時にはどうするかを決めるようにとも言っていた。私は、どうすればいいのでしょうか。と、一瞬迷ったけど最初から決まっていたわ。こんなことで悩むなんてどうかしていた。

 霊奈を、殺させはしない。

 確認するまでも無かった誓いを胸に刻み、半分残していたお茶を一気に飲み干す。……温くて苦い、やはり美味しくない。でもこのお茶が美味しくないのは、冷めているからだけではないのかもしれない。

 ☆

 色とりどりの、見とれそうになるほどの弾幕が私のそばを通り抜ける。一つ、私の肩を掠って服を焦がす。たいした物だと思う。

 霊奈の成長は非常に早い。明らかに、普通の人間の成長力ではない。考えたくはないけれど、私のような妖怪に近い。

「!」

 ほんの一瞬考え事をしただけなのに、それすらも霊奈の弾幕は許さない。すぐ目の前に弾幕があることに気付き、慌ててかわす。何とかかわしたけど、もう少し判断が遅かったら間違いなく顔に直撃していた。体が少し冷え、額から汗が噴出した。

「上達したわね、霊奈」
「まだお母さんには勝てないけどね」

 お互いに、余裕を持ったように見せかけて言葉を交わす。

 今日の日記。

 霊奈十二歳、弾幕がよく私の服を掠る様になった。そろそろ当たるかもしれない。
 この子は最近急成長をしている。
 まだ私には勝てないけど、この子ならいつかは勝てると思う。

 ☆

 弾幕が私の腹部に当たり、一瞬呼吸が出来なくなる。

 ここで怯めば私は負ける。咄嗟に扇子を振り、私を囲んでいた弾幕を消し去る。

 霊奈十三歳、弾幕が初めて当たった。命中した弾幕も、たった一つだけどかなりの強さだった。普通の妖怪なら一瞬で消し炭になっていたでしょう。

「……っ。 やるわね、霊奈」
「今日こそは私が勝つわ!」
「そう上手くは……いかないわよ!」

 今日の日記。

 霊奈は初めて私に弾幕を当てた。
 私の腹部に命中した弾幕は、かなりの強さで、一瞬呼吸が止まった。
 親不孝ものね、でも成長した、という点から見れば親孝行かもしれない。
 これからもあの子の成長を願う。
 そういえば今日、最近あの巫女が来ないと霊奈が悲しんでいた。
 一瞬私の胸が、きつく絞まった。

 ☆

 霊奈十四歳。今日は弾幕ごっこはやめ、散歩に行くことにした。行く先は博麗神社。そこにいくのは散歩のほかにも目的があるけど、霊奈には言っていない。

 あの日以来、博麗の巫女と私の関係は良いとはいえなかった。しかしそれはある日突然終わりを告げた。

 実はちょっと前、霊奈と大喧嘩して、霊奈は家を飛び出した。その時向かったのが博麗神社だったらしく、博麗の巫女がマヨヒガまで霊奈を連れてやってきた。

 すぐに調べたけど、霊奈の体は、傷一つついていなかった。その上仲直りの仲介まで博麗の巫女はやってくれた。本当に、『その時』が来るまでは霊奈に危害を加えるつもりは無いらしい。

 そんなことがあってから、私たちの間で張り詰めていた糸は、少しずつ緩んだ。それ以来少しずつ交流を続けることになり、二人の間の糸は現在、完全に弛んでいる。本当に、呆れるくらいに。

 そういった理由で、今では普通に博麗神社に行ったり、巫女にマヨヒガに来てもらったりしている。

 今日は用事があって、博麗の巫女に霊奈を預かってもらうことにした。

「じゃあ霊奈を頼んだわ」
「ええ、行ってらっしゃい」

 霊奈の相手――と言っても話し相手程度でしょうけど――は巫女に任せることにして、私は飛び立った。

 ちょっと前まで非常に険悪な関係だったのに今では霊奈を預けることが出来るほど信頼できるようになったというのが信じられない。

 そんなことを考えながらも私はどんどん飛ぶ、行く先は無縁塚。

 ★

 広い川の見える無縁塚、いかにも怪しい空気が充満している。霧の満ちる川を探していると、岸に舟があるのが見え、そばにある岩の上で赤毛の女性が一人のん気に寝ていた。

 岩の上にわざと大きめの音を鳴らして着地すると、死神は小さく体を痙攣させて起き上がった。

「ふあ〜……。待ってたよ、あの子の事だね?」
「ええ、死神さん。わかったかしら」

 ちょっと前にこの死神に仕事を依頼していた。この死神にしか出来ないので、料金は大きかったけど。

「ああ、あと73年だ」
「……そう」

 これほどはっきり言われるのは幸か、不幸かは私にはわからない。でも少なくとも、この死神は幸だと思ってそうしたのでしょう。私にとってもそれは幸だったのかもしれない。不意討ちを受けた気持ちが拭えないけど。

「病気とかは?」
「それはあたいにはわからないね、悪いけど」
「ありがとう、邪魔したわね」
「ちょっと待ちな」

 傘を引っ張られて私は振り返った。その際傘の先が死神の目を刺し彼女は可愛らしい悲鳴を上げた。

「あだだ……。あのお嬢ちゃんだけどな、あたいは生かしておいていいと思うよ」
「なぜ知ってるの?」
「やっぱりそうだったのか」

 しまった。私としたことが鎌にかけられてしまった。まさかこの死神より下手になるとは思っても見なかった。

 ……こうなってしまったら仕方がない、最後までこの娘の言うことを聞くとしよう。

「なぜそう思うの?」
「いいじゃないか、力を持ったやつなんてたくさんいる。そういうやつを受け入れることが出来る場所がここ幻想郷だろ? そう思わないのかね、この幻想郷の支配者さんは」

 まあ座りなよ、と小町は彼女のすぐ隣の岩を二、三回叩いた。私は岩の上にあった砂を軽く払ってからその岩の上に座った。数個の画鋲が砂と一緒に落ちたのは何故かしら?

「あの子は元気にしてるか?」
「ええ、とても。最近では私に弾幕を当てる事が出来るのよ」
「へえ、あんたにかい。大したもんじゃないか。って事はあたいじゃあ勝てないかもしれないな。はっはっは、参った参った」
「そうかしら?」
「ああ、例え距離を操ってあたいとお嬢ちゃんとの距離を月ほどにしても多分勝てないだろうね」

 『距離を操る程度の能力』、それがこの娘が持っている能力。私の娘はどんな能力を持っているのかしら? そういえば考えたこと無かったわ。でも少なくとも博麗の巫女の『空を飛ぶ程度の能力』は所有しているのは確認済み。

「吸血鬼の妹さんとならいい勝負になるんじゃないか?」

 確かにそうかもしれない、しかし実際勝負するとどちらかが、あるいは両方が死に掛けることは間違いない。

「今度あわせて欲しいな、もちろん三途の川のお客としてじゃなくて」
「そうね、また連れてくるわ」
「ああ、頼んだよ。……あのお嬢ちゃん、守ってやれよ? 親として、責任を持って。ここに客として来てたらあんたをあたいが殴りに行くからな」
「言われるまでも無いわ」
「ははっ、そういうと思ったよ。……さてと、あたいはそろそろ仕事にするよ。四季様に怒られる」
「今日はありがとうね、また、霊奈を連れてくるわ」

 死神がじゃあな、と言いながら右掌を私のほうに向けた途端、死神は遥か向こう、豆粒ほどの大きさになっていた。たぶん距離を操って一瞬で離れたのでしょう。

「私も……帰りましょう」

 私は指定席から立ち、博麗神社に帰る事にした。まだ霊奈を預けっぱなしだったし。

 無縁塚に溢れる不気味で神秘的な霧を振り払い、飛び上がった。空から無縁塚を見下ろすと、緑の髪の女性がさっきの赤毛の死神を叱り付けていた。あーあ。

 まああっちはあっちの問題だし、私には関係ないか。さっさと帰ろう、霊奈も待ってるし。

 ……と思っていたけど、もしかしたら帰らないほうが心に優しかったのかもしれない。私が神社で見た光景は想像を絶するものだったから。

 ★

 何が起こっているのか、まったくわからない。私は確かに博麗神社に飛んできた。この年だけでも何十回、私の一生を加えたら数え切れないほどの回数通ってきた。だから見間違えるはずは無い。

 でも、私はいったい何を見ているのだろう。ここは博麗神社に間違いない。でも、違う。

 地面に穴が、あいていた。木が――樹が折れていた。妖怪たちの血が、いたるところに飛び散っていた。死体が転がっていた。どれも、強力な妖怪の者だと私にはすぐわかる。

 神社はというと、致命的となるような被害は少ないものの、いたるところが破損している。

「どうなってるの?」

 声は震えていたかもしれない。この目に映る博麗神社は、いつもの神社ではなかった。

「れ……霊奈! 霊奈! どこ!?」

 積み上がっている妖怪の死体を放り投げ、霊奈を捜す。霊奈、霊奈、霊奈……!

「霊――ゲホッゲホッ……。 霊奈! どこ!?」

 投げた死体から煤が飛び散り、咳き込む。鼻が曲がりそうになるほどの異臭が死体を掴んだ手から発生し、少し顔が歪む。

 腐乱臭と、生物が焦げた臭いが一帯を占めていた。異臭に視界が少し歪む。

「ここよ、って言うかあんた、私はどうでもいいんかい」

 崩れそうな神社の中、博麗の巫女が正面からひょっこり姿を現した。彼女の足元には霊奈が横たわっていた。心配して駆け寄ると、博麗の巫女は大丈夫、とジェスチャーで私に合図をしたので少し落ち着いた。

「よかった……ところで霊――ゲホッゲホッ……。何があったの?」
「妖怪が襲ってきたのよ。戦おうと思ったら……この子が、ね」

 目線を霊奈のほうに一瞬移し、私に視線を戻す博麗の巫女。予想通り、聞く必要はなかったらしい。

「やはりこの子、只者じゃないわ。いったいどこの子なのかしら?」
「わからなかったの、十四年前、慧音って言う人に調べてもらったけど……」
「十四年前!? あんた、それ以降彼女に会いに行った?」
「いいえ?」
「アホかあんたは。十四年も立てばわかってるかもしれないじゃないの! 速く行ってきなさい、帰ったら神社の修理よ! はい、さっさと行く!」

 博麗の巫女は霊奈を畳の上に置き、私の肩を掴んだ。突然私の左肩が押され、右肩を引っ張られた。左足を軸にコンパスのように回転し、博麗の巫女に背を向ける。まだちょっとよろけてるっていうのに巫女は私の背中を蹴飛ばした。ああ、せっかくの服が。ってそれより目の前に石畳!

 文句を言おうと思ったけど聞くような子ではないし、時間の無駄なのでさっさと慧音の元へ向かうことにした。何かわかってるといいなあ。

 ……あの巫女は、あの子なりに気を使ってくれたのよね。下手な芝居しちゃって……。神社を霊奈が破壊したことを言わないなんて、結構大きな器持ってるじゃない。

 ★

「あなたはもしかして……」
「八雲紫、十四年ぶりね。霊奈のことについて何かわかったかしら?」
「霊奈? ああ、あの子の事か、いい名前をつけたな。あの子の事だが……ちょっと……」

 突然キス寸前の距離に現れた私を見て慧音は仰天したようだったけど、目が一瞬大きく開かれただけだった。なかなか肝が据わってるのね。瞬きした後には何事もなかったかのように、涼しい顔をしていた。その様子が藍と被る。

 慧音は周りを少し気にした様子で、私を教室の中に招き入れた。

 慧音は教室の中に入ると、生徒たちが帰った寺子屋の教卓の一番近くにある机を指差した。

 そういえば私が生まれた頃、寺子屋なんてなかったのよねえ……勉強するってどんな感覚なのかしら?

 ここで勉強しているであろう生徒たちの気持ちが少しでも伝わるかと思い、早速座ってみるけど何も伝わってこなかった。残念ね。

 ……その代わりかしら、机の上にあった透明で、妙な液体が私の腕に粘りついた。……これが何か知らないほうがよさそうね。

 慧音は寺子屋の扉から首を出して周りに人がいないことを確認すると、慎重に寺子屋の扉を閉めた。

「どこに住んでいるか知らないから伝えられなくて困ったぞ」
「あらごめんなさい、すっかり忘れてたわ」
「おいおい。まあ、あの子の事だけどな――」

 軽く呆れたような表情を見せた慧音だけど、またもや瞬きをした後にはいつもの真面目な顔に戻っていた。どれほど早く表情を変えているのかしら?

「あの子はだな……博麗の子だ」
「え? 博麗って、あの巫女の?」
「ああ、もっとも今の巫女の子ではないが、あいつの姉妹の娘、すなわち現在――十二代目だったか、博麗の巫女の姪にあたる」
「なぜすぐわからなかったの?」
「手がかりがなかったからだ、あの子の両親はすでに妖怪との戦いで亡くなっている。それにあの子には何故か力の介入が出来なかった。多分あの子自身がかなりの力を持つからだろう。そしてあの子の事だが……」

 慧音は少し辛そうに、話し始めた。

――あの子が生まれてすぐ、あの子の両親は妖怪との戦いで亡くなった。当然赤子を放置するのは褒められたことではない、あの子――霊奈といったか、一人の親切な神主が霊奈を引き取ることにしたんだ。しかし――。

――霊奈の住む村の村人たちが神社に訪れ、神主を殺害した。霊奈は赤子の頃から力がありすぎたらしく、人々は強すぎる霊奈の力を恐れた。村人たちは神主に霊奈を捨てるように勧めたが、神主はそれを断ったので、強行手段をとることになったのだ。そして心無い――いや、そう言い切ることは出来ないな、彼らも村を守りたかったのだろう。まあ、その村人たちによって霊奈は捨てられた。そこを八雲紫、お前が拾ったと言うことだ。

 慧音は話し終わると、寺子屋の端のほうにある綺麗なグラスを二つ取り出し、水を注いだ。片方を私に差し出すと、慧音はもう片方を飲み始めた。

「――まあ、そういうことだ。何か質問はあるか?」
「ええ。まず、何故今の巫女は霊奈のことを知らないのかしら?」
「博麗のものには何かしきたりがあるのだろうか、どうやらお互いに連絡を取り合っていなかったらしい。そして突然の死、連絡の道はすべて断たれた、と言うのが私の推測だ。たぶん間違いない」
「じゃあ二つ目、力がありすぎた、と言ったけどどうしてうちにいる間は大丈夫だったのかしら?」
「それは八雲紫、お前の力だ。大妖怪としての力が無意識に霊奈の力を吸収していたのだろう。それに強大な力を持つといっても赤子は赤子、八雲の家にはお前とかなりの力を持つ従者がいるだろう、赤子の力が薄れて見えて当然だ」
「質問は終わりよ」
「そうか、では私からも一つ聞こう。これからあの子、どうするつもりだ?」
「……もちろん私が守るわ。親として、あの子を愛する者として」
「……その答えが聞きたかった。やはりお前は立派な親だ。……八雲紫、あの子を守ってくれ、私からも頼む」
「ええ、もちろんよ。今日はありがとう」

 慧音はどういたしまして、と一言言うと、すぐに何かを思い出したらしくそうだ、と付け足した。

「すまない、もう少し聞いてくれ」

 慧音はさっきのグラスを取り出し、水を注いでゆく。

「水を霊奈の力、このグラスを霊奈、そしてこの机を幻想郷としよう」

 どんどん水がグラスの限界まで迫る。

「まずは水がコップの表面を伝い始める。すなわち、霊奈の体からはみ出した力が霊奈自身を支配する。そうすれば霊奈は力を制御できなくなる」

 水がグラスから溢れ、グラスの表面を伝い始めた。

「そして次に、はみ出した力は幻想郷を覆い始める」

 グラスを伝った水が机を濡らす。最初は少し、しかし段々と、グラスを中心に水が広がり始める。

「やがて、この力は幻想郷を覆い尽くす」

 教卓の限界にまで、水が迫ってきた。机にくっついていた私は咄嗟に離れた。

「そうすれば……もう説明する必要はないな?」
「ええ」
「どうかお前の力で溢れた水を拭きとって欲しい、だから決して死ぬな。言うまでもないことだったが、以上だ」

 頼んだぞ、と締めくくり、慧音は雑巾を数枚取り出し、教卓を拭き始めた。綺麗に拭かれた教卓が太陽の光を浴びて白く光る。

「色々とためになったわ。今日はありがとうね」

 慧音はああ、とだけ返すと、寺子屋の窓を閉め始めた。先ほどから二人しかいない教室を照らしていた太陽の光が遮られる。

 霊奈もこの寺子屋に入れてあげばよかったわ、こんなにいい先生がいるのですから。表面上はちょっぴり、内心では深く後悔した。

 ★

「紫、もっと釘は右! っていうか材料足りない! スキマから丸太拾ってきて!」

 博麗の巫女はとにかく私をこき使う。この子、私が幻想郷を束ねる妖怪だって事本当にわかってるのかしら? 

 ――と思ったけど、この巫女は誰に対しても態度を変えない、そこが長所だったわね。それに、霊奈が壊した神社のことについてあれこれ言わないのも正直助かる。今日のところは私が引き下がろう。

「あとで夕飯分くらいのお賽銭入れていきなさいよ」

 はいはい。

 丸太ならたくさんある。材料集めなら全然苦にならない。ただ、

「イナゴを集めろと言うのはどういうことかしら?」
「夕食よ。美味しいのよ?」

 なんだか哀れになってきた、一週間は持つくらいのお賽銭入れてあげよう。でもこの巫女なら一日で使い――果たすわけないか、大丈夫よね、うん。

「紫」
「今度は――何かしら?」

 途中までいい加減に投げた言葉の勢いが巫女の真剣な表情のおかげで失速する。

「霊奈のこと、どうするか決めた?」
「大丈夫よ、私が何とか制御するから」
「だから――」
「大丈夫よ、責任を持つから。必ず、あの力を抑えて見せる」

 私は譲らなかった。絶対、霊奈を守るから。

「……だいぶ直ったから終わりにしましょう、もう空はこんなになってるわ。霊奈に夕食の準備をさせているから、さっさと戻るわよ」

 博麗の巫女はそれだけ言うと、ほぼ完璧に修復された神社の中に戻っていった。もともと神社の損害はそれほどではない、二人だけでも十分立派な形になる。見えているだけかもしれないけど。

 そういえば集中してたから気にしなかったけど、すでにもう辺りは暗い。空を見上げると、夜空には美しい星が輝いていた。一つ一つをシャッターに収めるように、目に焼き付ける。これほど美しい星を見たのも久しぶりだわ。

 でも一つ気に入らないことがある。あれは、いったい何かしら?

 見上げた空に一つだけ、血のように真っ赤な星がある。正直見ていて気分のいいものではない。小さいくせに、他の星よりもずば抜けて明るく、しかし不気味に光っている。

「何よ、あなた……」

 なぜか腹がたち、石を拾って星に向かって投げつける。当然、あの星まで届けと願った石は、私の願いを無視して放物線を描いて宙を舞い、重力に従って森の中へ落ちていった。

「届かない、わよね……」

 赤い星に雲がかかる。まるであざ笑っているかのように、私の目には映った。……気に入らない。

「紫〜?」
「お母さん、ご飯冷めちゃうわよー! 来ないと片付けるわよー!」
「はーい、今行くわ」

 私をあざ笑った血の星を睨みつける。所詮負け犬の遠吠え、でも私はそれをせざるを得なかった。気が済むまで睨みつけていると、もう一度霊奈に怒られ、一品減らされそうになったので神社の中へと入った。

 ☆

「何よ、これ」

 霊奈は十五歳、もうそろそろ大人かしら? 私にとってはいつまでも子供だけどね。

 それはともかく、これはいったいなんでしょう。藍の手の上で鎮座している、私の元に届けられた手紙。それをみると――。

『結婚しました』

 大きく書かれた文字、その下を飾る博麗の巫女と美形の人間の男、二人とも綺麗な和服を着ている。

 藍はさっきから口を利かず、ただ手を震わせている。私も何か反応するべきなのよね、でもあまりの驚きに、何をしたらいいか……。

 瞬きをした。写真は変わらない。

 目をこすった。写真は変わらない。

 手紙を裏返して、元に戻した。写真は変わらない。

 火をおこし、手紙をあぶってみた。『よく気付いたわね』というメッセージが現れた。

「藍、ちょっと頬っぺた捻ってくれる?」
「私もぜひ捻ってもらいたいものです、二人同時にやりましょうか」
「そうね、じゃあ――」

 お互いの頬をつねり、思いっきり引っ張る。藍、痛い! 千切れるって!

「夢ではないようですね」

 藍の頬っぺたは真っ赤になっていた。まあ当然と言えば当然ね。

「藍、お祝いのお金を送りましょう」
「それがいいですね、このくらいでよろしいでしょうか?」
「ええ、十分だわ。――と思ったけどごめん、やっぱりもう少し増やしてあげて」

 今日は、奮発よ。

 今日の日記。

 奴が結婚した。
 どうやら世も末らしい。
 でも何故か喜んでいる私がいる。

 ☆

 久しぶりに博麗の巫女が来た。何かしら?

「実はね――」

 真上にあった太陽が西に大きく傾き、影が伸びる位まで、私たちの話は続いた。女性の話は長いのよ。

 簡単にまとめると、悩み相談のようなものだった。博麗の巫女に、子供が出来ないらしい。理由はわからない、なぜか子供が出来ない。このままでは跡継ぎがいなくなるし、何より子供を持つと言う喜びを味わえない、博麗の巫女は少し泣いていた。こんなに悲しそうなあの巫女の表情は始めてみた。

 ついつい可哀相になって、私が生きてきた上で学んできた言葉を使って慰めた。それにしても何で出来ないのかしら?

 私としても、あの巫女には子供の大切さについて知って欲しい。どうかあの二人に子供が出来ますように。

 そうね、あの子に子供が生まれたら霊奈と遊ばせましょう。きっと仲良く遊べるに違いないわ。

 今度、お賽銭箱にお賽銭を入れに行こう。もちろん願うのは、あの子に子供が出来ますように、と。

 今日の日記。

 博麗の巫女が相談に来た。
 あの子ががっかりしたような様子なんて見たことがなかったから、素直に聞いてやることにした。
 どうやら子供が出来ないらしい。
 聞いていた私も悲しくなった。
 私は考えようによってはすでに二児の母、子供を持つ喜びというものをよく知っているつもり。
 だからあの巫女にもぜひ子供を持って欲しい。
 今まで祈ったことなんてほとんどなかったけど、神に祈る。
 どうか、あの子に子供が出来ますように。

 ☆

 博麗の巫女が今日も来た。今日は霊奈と弾幕ごっこをするらしい。でも、すでにごっこには見えないと言うのが現実。と言うより横で観戦している私も危ない。

「おっと、やるわね!」
「久しぶりに腕を上げたでしょ?」
「そうね! でも負けないわよ! 私は勝負には基本的に全力なの!」

 博麗の巫女の言い分は大人気ない、とも言う。あ、ついに夢想封印を使い始めた。でも霊奈は上手にかわしている。大したものだわ。博麗の巫女は悔しそうに霊奈の反撃をかわしている。

 二人の勝負を見ていて、一つ思った。悔しいけど、私よりもあの巫女のほうが霊奈の親のように見える。あの二人のほうが、本当の親子みたい……育ててきた私にとっては悲しい。

 頭に浮かんだ屈辱的な考えを頭を振って払う。考えない考えない、育てたのは私よ。それでもお揃いの巫女服を着ている様子を見ると……うぅ……。

 それにしても弾幕ごっこをしている二人は本当に幸せそう。博麗の巫女の姪にあたる霊奈、本人たちにそのことは言っていない。言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのか――まだ私の中では結論が出ていない。

 もしかしたら、博麗の巫女は気付いているかもしれない、でも――博麗の巫女はあくまで、あの子の『親代わり』として接してくれる。それであの巫女が満足なら、いつでも会わせてあげよう。

「――え?」

 突然、霊奈が疑問の声を上げた。博麗の巫女は一瞬動きを止め、「どうしたの?」と質問し、少し遅れて私も疑問を感じる。

 おかしい、霊奈の体が光り始めた。弾幕がどんどん増えてゆく。博麗の巫女のものではなく、霊奈の放つ弾幕が。こんなこと一度もなかったのに。

「体が――言うことをきかないっ……!」
「何ですって!?」

 博麗の巫女が驚きながら弾幕をかわす。先程よりも弾幕は大きく、早くなっていた。

 弾幕が地面に直撃し、砂埃が舞い上がる。砂埃が消えた途端、大きな穴が姿を現した。まさか――霊奈の力が暴走を……!

「霊奈、体は大丈夫!?」

 強力な力を持つと、暴走したときに体が耐え切れなくなる。霊奈の力は大きすぎる、端から見ても霊奈の許容量を大きく超えていることがわかる。グラスから、水が溢れるように……。

「霊奈、ちょっと待ってなさい! 今助けるから!」

 こんな時のために私は用意しておいたものがある。かつては藍を救ったこともある、力を封印する札。

「紫、早く取ってきて! 私は霊奈を抑えているから!」
「わかった!」

 私の部屋の中にしまっておいた札、あれがあれば霊奈を救うことが出来る。転がるように玄関に飛び込み、家の廊下を何年かぶりに走る。私の部屋の箪笥の2番目の引き出し、2番目の引き出し――!

「紫様、これですね!」

 藍がずいぶん向こうの私の部屋から出てきたと思ったら、私に札を手渡した。それはまさしく――。

「藍、ありがとう!」
「霊奈を救ってください!」

 藍は持ってきたことなどどうでもいい、と言いたげに霊奈のことだけを吐き出した。きっと私と同じ気持ちなのでしょう。

 霊奈の弾幕がいたるところに投下される。どうやら博麗の巫女は無事らしい。見張っているとかいいながらきゃーきゃー言いながら避難している。少し期待はしていたけど、あの巫女がこうなったのは無理もないと思う。

「霊奈! これを受け取りなさい!」

 近くに落ちていた小石を拾い、お札をそれに丸めて霊奈に投げる。霊奈が慌ててキャッチする。

 霊奈の体が光を失い、代わりに吸収されたかのように札が光る。霊奈の力は吸い取られた、と見て間違いはない。

「……治まったみたい」

 霊奈がゆっくりと降下してくる。

「霊奈、大丈夫?」
「うん、ごめんなさい、わたしの力が――」
「いいのよ、それよりしばらくはその御札、握ってなさい」

 霊奈の力は恐ろしく早く成長する。でもその御札はかなりの大きさのグラス、しばらくは机の上に水が溢れることはない。

「霊奈、先に家に戻っておいて、私はあなたのお母さんと話があるから」
「え? うん」

 一瞬疑問の表情を浮かべた霊奈、しかしすぐに納得した様子を見せ、素直に家の中に戻っていった。

 博麗の巫女がこちらを向く。その表情は、真剣。私がもっとも嫌いな、この子の表情。この顔で始まる会話は、一つしかない。

「……紫、計算を間違えたわ。……残念だけど、すぐにでも霊奈を何とかしないと……」
「そんな――!」
「私だって辛いわよ、でも、でもね……あなたは幻想郷を愛し、それを守らなくてはならない。だから、だから……」

 博麗の巫女の言葉が途中で止まる。私は確かに聞いた、止まる直前、博麗の巫女の声が涙声になったのを。

 その声に、私の心は乱された。

「じゃあ、じゃあわかったわよ、幽々子から毒をもらってくるわ! でも、もし霊奈の力が治まったら……」
「わかってる。その時は殺さなくてもいいわ。いえ、私からもお願い。殺さないで頂戴」

 博麗の巫女は多分優しいのでしょうね、「無理だと思うけど」と言葉を続けないのだから。

「霊奈は私と藍で見ておくわ、早く毒をもらいに行ってきて」
「……ええ」

 使わないけどね、と付け加えようと思ったけど、言わなかった。言わなくても、間違いなく博麗の巫女にもわかっているから。

 博麗の巫女だって、非情ではない。非情に見せかけているだけ。それは多分、幻想郷を守る者として、被らなければならなかった仮面。

 ……果たして私は、あの巫女と同じように仮面を持っているのかしら?

 ★

「はい、これなら苦しむ事もないわ」
「ありがとう、幽々子」
「……紫、私でよければ、力貸すわよ? わたしの力で霊奈を――」
「いいわ、自分でまいた種だもの。それに今のあの子にあなたの力が通用するとも思えないわ」
「そう……。紫、気を落とさないでね」
「大丈夫よ、私は妖怪。人の死なんて見慣れているし自分で人を殺したこともある。それに……元から殺すつもりなんてないわ」
「ええ、そうね」

 あなたの力なら大丈夫よね、と幽々子は続ける。幽々子ももしかしたら無理だと思っているかもしれない。でも、いわない。今の私の気持ちはガラスの窓の向こうにある風景の様に、幽々子に丸見えだから。言わないことが最良の手段だと踏んだのでしょう。私の周りには、どうしてこんなに優しい人が多いのかしら。

「ありがとうね、さようなら」
「ええ、さようなら。……頑張って」

 最後に聞こえた幽々子の声が、彼女の気持ちをすべて語っていた。

 ★

「貰ってきた?」
「気を利かせてくれたみたい、これなら苦しまないらしいわ。まあ使わないから関係ないけどね」

 念のため、さらに強調する。博麗の巫女が何か言おうと口を開こうとしたとき、遠くから足音が聞こえたので博麗の巫女は開いた口をきつく結んだ。

 徐々に足音が大きく、近くなり、襖の前で止まった。一拍置いて襖が開かれ、霊奈が姿を現した。

「お母さん、お帰り」
「ただいま、霊奈」

 霊奈の手の中には一枚の御札が握られている――すでにボロボロになった。

「霊奈、それ……」
「どうしてかわからないけど、段々ボロボロに……」

 私は正直、驚愕した。前にも言ったようにあの札はかつて藍を救ったかなり強力な御札。その御札が、霊奈の力に耐え切れずにいる……。私の家には――いや、たぶん幻想郷中を探してもあれほど強いお札はそう見つかるものではない。つまり、あの御札が破れたとき、霊奈の力を防ぐものはもうない。すなわちそれが、最後の砦。

「紫――」
「くっ……」

 博麗の巫女のたった三文字が私の心にプレッシャーをかける。自分を呼ぶその声に、じりじりと追い詰められてゆく。

 心の中で、幻想郷と霊奈を天秤にかける。当然、はたから見れば幻想郷が大切でしょう、でも、それがなかなか出来ない。それが親ってものなのよ、これが、霊奈と過ごした十五年で私が学んだこと。

「霊奈、寝室で寝ていなさい。あなたのそれは一種の病気よ。寝ていれば治るわ。念のためこれも握っておきなさい」

 霊奈に握らせている御札より弱いお札――それでもかなり強力な御札を三枚霊奈に渡した。霊奈が受け取った瞬間、御札が悲鳴を上げる。しかしまだ破れてはいなかった。

「うん、握っておくわ」
「あとでご飯、持って行くから」

 博麗の巫女は横から口を出さず、ずっと耳を澄ませて聞いていた。

 霊奈が小走りで寝室に向かう。それを確認した博麗の巫女は、口を開いた。その言葉は安心したかのような、それでも素直に喜べない複雑なもので、聞くほうも気分はよくならない。

「決心したのね」
「ええ、今から作る霊奈の夕食に……毒を混ぜるわ」
「紫、ごめんね、……こんな事言いたくないけど、ありがとう」
「いいのよ別に、どうせあの子は人間。私は何人もの人間を殺してきたのよ? あんな娘一人に心を動かすなんてそんな馬鹿なことないわ」

 無理している、私でもわかっている。でも、やらなくてはならない。

 言葉には力がある。こうでも言っておけば、少しは私に力を与えてくれるかもしれない。

「料理を作ってくるわ、あなたは霊奈が暴走しないように見張ってて」
「ええ」

 最後の晩餐は、いったい何にするべきか。霊奈の好物の中でも……どれがいいかしら。

 ★

 多めに作ってしまった霊奈の好物。四つのお皿に均等に分ける。二人分くらいは食べきれないのでなべの中に残しておいた。

 霊奈の分を多くしてあげたいのは山々だけど、感付かれる可能性がある。ごめんね、霊奈……。

 混ざらないように、三つのお皿を移動させる。残したのは霊奈の分。幽々子から貰った小瓶の中身を、すべて振り掛ける。皮肉だけど上手く出てきているわね、透明の液体で絶対ばれないわ。殺すのは、たやすい……。

 ……私ったら、確実に殺すために全部かけたっていうのに、薄めてどうするのよ。

 料理に不覚にも落とした一滴の液体に気付き、自分を叱責する。でも叱責するほうも自分だから、説得力がない。

「霊奈、ごめんね……」

 霊奈の分の料理――これから霊奈を殺す悪魔を眺め、これから遠くに行ってしまう霊奈に謝る。

 私がやっているのは親として最低のこと。決して許されない、大きな罪。そして、私には決して償うことが出来ない大きな罪。

 おかしいわね、私ったら。いつから人間を殺すことに戸惑いを覚えるようになったのかしら。

 でも、こんな感情、捨てなければ。そのためにはさっさとやってしまうこと。

 心に決め、霊奈の食事を持った。まず最初に霊奈の食事を運ぼうとした。そして、

 挫折した。

「やっぱり、出来ない……!」

 霊奈の料理を床に叩きつける。当然お皿が盛大な音を立てて割れ、私の服に破片が飛び散る。料理は無残な形になってしまった。これではもう食べられない。

「どうしたの!?」
「どうなさいました!?」

 博麗の巫女と藍が慌てて厨房に飛び込む。すぐに駆けつけてくれたのには嬉しいのだけど、二人はこの光景を見てなんて思うかしら。私を臆病者だと罵るかしら? それとも――。

 厨房に駆け込んだ二人の足が止まる。暗い私の表情、砕けたお皿、きっと二人はすべてを悟ったんだと思う。

「紫、ごめん! やっぱりあの子の親のあんたにさせるなんて私どうかしてたわ。もういいわ、私が何とかするから……!」
「いえ、博麗の巫女殿、ここは私が。私は紫様やあなたほどあの子に係わってはいない。私ならあの子を躊躇なく殺すことが出来る」
「何言ってるのよ藍、あなたがあの子を大好きだって事、バレバレよ? まったく私のためにはなんでもするんだから……」
「それは……紫様も同じではないですか、あの子の為ならなんでもなさるでしょう?」
「さて、どうかしらね? ……大丈夫よ二人とも、子供の責任は親の責任、私が必ず責任をとるわ」

 すでに札を構えている博麗の巫女、同じくくないを構えている藍。虚勢だけは張っているようだけど、二人とも手が震えている。制さなければ一生のトラウマになるでしょう。これは、親の責任。私がしなくてはならない。

「でも、その前に最後の晩餐を楽しませて頂戴」

 少し、威厳のあるように言ってみると、二人は渋々と引き下がった。これで、いい。汚れるのは私だけで十分。

 もしかしたら、ちょっと前の私はこの展開を知っていたのかもしれない。なぜなら、多く作りすぎたふりをして霊奈の分の予備の食事を用意していたのだから。

「今夜、私がすべて片付ける。あなたたちは、覚悟を決めていて」

 もう戻らない、これが私の最終決定。裁判官の代わりに下した、霊奈の命を賭けた最後の審判。

 ★

「お母さん、今日は張り切ってるね。いつもより美味しいよ」
「そうかしら? ありがとう、霊奈」

 最後の晩餐を、精一杯楽しむ。霊奈は純粋に、これから起こることなど知らずに食事という時間を楽しみながら過ごしている。これからこの笑顔を奪うのは、私。この楽しい日常を壊すのも、私。出来ればこのまま時間が止まって欲しいと願うのも、私。

 三人の私のうち、二人の意見は一致していて、もう一人の意見は正反対。この一人が案外頑張っていて、決して倒れようとしない。でも私は一人の私を倒さなければならない。この幻想郷を守る者として。

 私は、この子の親である以前に幻想郷の守護者なのよ、この子一人に感情を動かしてたまるものですか。

 自己暗示をかけて、自分を誤魔化しているのはよく分かっている。

「そういえば、私、何回勝ったかな?」

 博麗の巫女に霊奈が尋ねる。巫女は「そうねえ……」と考え込み、適当な数字を言って霊奈に怒られる。そしてそこに私がツッコミを入れる。そのツッコミが完璧ではなく、さらに藍に突っ込まれる。

 四人で他愛のない、それでも掛け替えのない会話を楽しむ。四人のうち三人がかぶった仮面は、偽りの笑顔。仮面の下には、近い未来を嘆いた泣き顔。出来れば残る一人には仮面をかぶらず、このまま純粋な笑顔でいて欲しい。

「「「「ご馳走様でした」」」」

 四人の口が、同時に食事の終了を意味する言葉を発する。同時にそれは、楽しい時間の終わりを意味する。

「霊奈、今日はもう寝たほうがいいわ。早く寝なさい」
「はーい」

 出来れば嫌だと言って欲しかった。たまには夜更かししたい、と言って欲しかった。しかしそれはかなわぬ思いであり、私のわがまま。子供を手放したくないと言う、私の最後のかなわぬ一生の願い。その願いは、叶わなかった。

「おやすみ」

 霊奈の声が、私の耳の直前でさようなら、に勝手に変換される。でも最後の会話、精一杯の笑顔で、返してあげよう……。

「おやすみ、霊奈」

 霊奈は私たち全員に挨拶をすると、寝室へと戻った。挨拶に答える残る二人は、これ以上ないほどの、しかし悲しさによる陰りの見える笑顔で挨拶を返した。私も、ああいった笑顔をしていたのかもしれないわ。

 霊奈は、いつものようにあくびをしながら寝室へ向かった。静かに襖が閉まってゆく。その様子が私に物寂しさを与える。

「霊奈、最後の最後まで笑顔だったわね」
「私の娘だもの、あの子に一番似合わないのは悲しむ顔よ。笑顔はあの子の為にあるのよ」
「親ばかもいいとこね」
「最期まで一緒にいるあなたに言われたくないわ、もちろん藍にも言われたくない」
「ははっ、先に言葉をふさがれてしまいましたか、ははは……は…………」

 藍の笑い声が力ないものへと変わってゆく。声を出していないに等しい藍の笑いがやがて止まり、藍は沈黙した。すぐに「私としたことが……」と言って袖で顔を覆いはじめた。

 私もその様子を見ると目頭が熱くなり、とっさに暑いわね、と呟いて窓を開けた。夜空と言う広い舞台を飾るのは、満天の星。星の一つ一つが私に話しかけてくるように、光を増す。

 夜空の星だけは、こんなときでも綺麗に光ってくれる。

 銀に光る星に対して、月は対照にも見える黄金だった。今夜は満月、月の光を浴びた藍の尻尾が綺麗。

「もうすこし、このままで……」

 博麗の巫女の呟きに反対する者は、確認するまでもない。私たち三人は、しばらく星を眺めていた。

 ★

「そろそろ、ね」
「ええ、あなたたち二人はこの部屋にいなさい」
「いえ、今回ばかりは逆らわせていただきます。私もあの子の最期を見届けたいので」
「……勝手にしなさい」

 最期までついてきてくれる従者に感謝の念を抱きながらも、私の口は冷たく彼女をあしらった。多分「喜んで」、と受け取ったでしょうけど。

 覚悟を決め、大きく深呼吸をする。震える手で、襖の取っ手を掴む。細心の注意を払い、ゆっくり、ゆっくりと襖を開く。

 布団が小さく上下している。寝息は聞こえない。疲れているのかしら。

 二人に小さく頷き、私はゆっくりと霊奈に忍び寄る。あと、三歩。あと、二歩。あと、一歩――。

 もう霊奈の体に手が届く。霊奈の頭にそっと手を伸ばした。

「お母さん」

 本当に寸前、自分の体が自分じゃなくなったように、自分を第三者の目で見る。私――八雲紫の手が止まったかと思ったけど、驚いて大きく震えた。いま、霊奈が八雲紫を……。

 布団が触ってもないのに捲られ、霊奈が体を起こした。寝ぼけているのではなく、完全に起きている。その様子に八雲紫の器の後ろにあった私の魂が、器の中に戻る。

「あ、あら、目を醒ましたのね、何か飲む? お茶がいいかしら、それとも……」
「いいよ、誤魔化さなくても。私を殺――ここよりいい世界に送ってくれるんでしょ?」

 どきり、と心臓が大きく跳ねた。なぜ? どうして霊奈が知ってるの!? 私も、巫女も、藍も何も言っていない筈よ!?

 とにかく、誤魔化さなければならない。

「霊奈? 何を言ってるの?」
「知ってるわよ、私が異常な力を持っていることくらい。これが証拠よね?」

 霊奈が掌を開くと、破れて見る影もない、さっき渡した三枚の御札があった。残る最も強い一枚のお札は、まだ破れていない。しかし風前の灯だと言うのは言うまでもない。

「私は本来生きる罪、もともと生きてはいけなかったのよ。それでもお母さんは私を見捨てずに育ててくれた。感謝しています」

 布団に手をつき、深々と頭を下げる霊奈。

「もうすぐこの最後のお札も破れる。そうなったら、この幻想郷も滅びるわ。今のうちに、私を天国に送って?」

 私の胸に飛び込み、霊奈はおとなしくなる。胸の辺りがじわっと暖かかくなり、すぐに冷たくなる。

 少し遅いけど、私はようやくこの子が自らの死を私たち――幻想郷のために願っていることに気付いた。しかし霊奈にはあまりにもそれを認めるのが辛すぎた。だから自らを、生きる罪と考えていたのね……。

 でも、それは違う。霊奈もまた、生まれ、生きることを許された生命。

「霊奈、あなたは罪なんかじゃない。大切な、生きる資格を持った生命よ」
「でも……」
「あなたは運が悪かっただけ、そうよね?」

 後に控えている二人を見ると、予想通りの答えが返された。

 霊奈の嗚咽が聞こえてくる。段々と大きくなり、私の胸に広がる儚きぬくもりもそれに比例する。

「お母さん……本当に、ありがとう。今まで、ありがとう!」
「こちらこそ、ありがとう霊奈。あなたがいる間、私は長い年月の中でもかなり貴重な経験をしたし、学ぶことも多かったわ。本当に、ありがとうね」
「お母さん、今度生まれるときも、お母さんの家族か友達になりたいな」
「そうね、私は長生きだものね、楽しみにしてるわよ」
「その時は私とも家族か友達にね」
「もちろん私も忘れないでほしい」

 博麗の巫女と藍が、自分たちも忘れるな、と話しに入ってゆく。霊奈はもちろん、と笑顔で二人に答えた。

 藍と博麗の巫女が手を伸ばす。霊奈は一人ずつ、公平に手を握る。順番に、二人と抱き合う。

 二人から離れると、もう一度私に抱きつく。

 どのくらい抱き合っていたかしら、来てほしくない、幕を閉じるときがやってきた。霊奈自身の手によって。

「お母さん、もうやり残した事はない、……お願い」

 私が冬眠をするときのことを思い出す。私は見送られる方じゃなく、見送るほうとして、冬眠する前の光景を思い出す。

 紫、しっかりしなさい。私がしっかりしないと霊奈が安心して眠れないでしょ? 見なさい、霊奈は泣いているけどしっかりと別れを覚悟しているじゃない。私がこのまま霊奈を送ってあげなきゃ、親として失格よ?

「……霊奈、痛くないからね? あなたはじっとしているだけでいいから」
「うん」

 霊奈の胸に手を伸ばす。心臓が、いつもよりはやくはねている。やっぱり、怖いわよね……。

 私は霊奈の胸にそっと手を当て、霊奈に深呼吸をさせる。少し、心臓の速度が遅くなる。落ち着いてきたのね。

「霊奈、またいらっしゃい」
「ええ、絶対。生まれ変わってでもお母さんに会いに来るわ」

 部屋が静かになる。

 私は覚悟を決め、私の持つ力を腕から心臓に流し込んだ。容赦はしなかった、もし今してしまうと、永遠に見送ってあげることが出来なくなるから。

 霊奈の体がびくりと大きくはね、小さなうめき声を上げて私の胸から離れる。霊奈が最期の力を使い、散ろうとしている命を少しだけ延ばしたかのように体を起こす。

「お母さん、ありがとう……また……ね…………」

 最期に見せた霊奈の笑顔は、何に例えようか。ただ、十五年と言う短い霊奈の一生の中で見せたすべての笑顔を足したような、最後にふさわしい笑顔だったと思う。

 命の光が、徐々に消えてゆく。霊奈の体が傾き、私の胸の中にゆっくりと飛び込む。

 霊奈の残した人肌の体温は、なかなか亡骸から離れようとしなかった。それは、私が霊奈から離れることを拒否していたからかもしれない。

 ☆

 博麗神社の裏に、霊奈のお墓を作った。マヨヒガでもよかったけど、ここはよく霊奈が遊んでいて、春になると桜が咲き、夏になるとセミとヒグラシの声が聞こえ、秋には紅葉が散り、冬には白い花が積もる場所。間違いなく、霊奈のお気に入りの場所だから。

 毎日毎日三人でお墓参りに行き、藍はあの子が好きなお菓子、巫女はあの子が好きな博麗の巫女が淹れるお茶、そして私は私特製のあの子の好物を持っていくことにしていた。もちろん毎日一緒だと霊奈も飽きるでしょうからいつもメニューは変える。

 墓参りを始めてから二週間、驚くことがあった。

 無縁塚の赤毛の死神が私を訪ねてきた。どうやら霊奈はお客として、そちらに行ってしまったらしい。殴りに来る、と言っていたから覚悟を決めて目を閉じた。でも死神は、殴ろうとしなかった。

『なぜ、殴らないのかしら?』
『舟に乗っているときに話をした霊奈の表情が、とても嬉しそうだったからかな。あんな表情見せられちゃ、あんたを殴れないよ。でもあたいは気がすまない。だから――』

 ポン、と頭の上に手を置かれた。

『これがあたいからの約束を破った罰。……そうそう、あの子なら四季様もよくご存知だからすぐに転生できると思うよ』

 それだけ言い残し、死神は帰ってしまった。

 死神は、怒ってなどいなかった。私は、間違いなく、優しく川の向こうまで送ってくれたであろう死神に心から感謝した。また、すぐに転生できる、と言って私を元気付けてくれた点ででも。

 そして変わったことがもう一つある。墓参りを始めてから一ヶ月、おめでたいことが起こった。

 博麗の巫女が妊娠した、ということだった。博麗の巫女は涙を流して喜んでいて、つい私も嬉しくて泣いちゃった。

 さらにしばらくして、無事に博麗の巫女の子供が生まれてきて、また泣いちゃった。十五年前に見た、霊奈の姿に非常に似ていたから。

 しばらくすると冬が来て、私は冬眠した。目が覚めたときには、桜の花びらが満開になっていたらしい。

「おはようございます、紫様」
「おはよう、藍」
「紫様、一つお話が」
「何かしら?」

 藍は私に背を向けると、襖に向かって来なさい、と一言呟いた。

 突然騒々しく襖が開かれ、人の形をした黒猫が部屋に飛び込んできたので私は驚いて小さく声を上げちゃった。

「こら、大きな音を立てすぎだ!」
「ごめんなさい、藍しゃま」

 全然反省していない様子でその黒猫は藍に謝る。

「この黒猫は私の式となった橙です。橙、紫様に挨拶をするんだ」
「はじめまして、紫しゃま。橙です、これからよろしくお願いします」

 藍は、もしかしたら私が寝ている間ずっと考えてくれていたのかもしれない。冬眠する前から私は家が広い、と毎日口癖のように言っていたから。

「あれ? 紫しゃま、何で泣いてるの〜?」
「何でもないのよ……よろしくね、橙」
「はい!」

 ☆

「ふふっ……」
「紫様、どうされましたか?」
「いいえ、昔のことを思い出していたのよ、遠い昔を……」
「……そうですか、実は私も思いだしていました、この、夜空の星を見ていると必ず思い出します」
「ええ、あの時もこんな感じの綺麗な星が輝いていたわね。あなたの尻尾もあの時のように光を浴びて綺麗よ」
「ありがとうございます。あ、紫様。今日は霊夢が来ると言っていましたが」
「――回忌っていうのに、あの巫女は……」
「まあ仕方ないですよ、霊夢は知らないのですから」

 霊夢には、霊奈の事を話したことはない。酒の肴として話そうと思ったこともあるけど、そんな安っぽい話ではないからやめた。それに特に言う必要もないので、これからも話すつもりはない。

「あ、来ましたよ」
「そう、仕方ないわね」

 私はさっさと自分の部屋に戻り、霊夢を待った。

 廊下からどたどた騒がしい足音が聞こえ、まもなく襖が盛大な音を立てて開かれる、子供みたいな子ね。って、子供か。

「来たわよ、お茶よこしなさい」
「はい」

 茶缶をポイッと放り投げてよこす。

「今日はそれ以外に何の用なの?」
「お茶くらいは出さないの?」
「自分で淹れなさいよ」
「わかったわよ」

 この会話、前にもどこかで……気のせいね。霊夢は元から私に期待などしていなかった様子で、さっさとお茶を淹れる。お茶は綺麗な深い緑色になり、所々に白い湯気がかかっていた。やっぱりこの家系、お茶を淹れるのは天才ね。

「今日はお茶を貰いに来ただけだけど?」
「あらそう、今日は忙しいの」
「そう、じゃあ帰るとするわ」
「何しにきたのよあんたは……」
「だからお茶を――」
「わかったわかった、帰るのね?」
「ええ」

 霊夢はまだ湯気の立つお茶を一気に飲み干した。うわ……絶対熱いって。

 湯飲みから離された口は、大きな白い息を吐いた。白い息に混じって「あづい〜!」と言う声が聞こえる。どうやら失敗したらしい。

 見ていて面白いし、せっかくだから玄関まで見送ろう。霊夢の後に続き、玄関へと向かう。その間霊夢はずっと湯気を吐いていた。ちょっと計算を間違えたわ、と聞いたけど水はあげないことにした。

 長い廊下、それでも永遠ではない。すぐに玄関にたどり着いた。霊夢は私に背を向けたまま、今にも飛びたとうとしている。しかし飛ばずに、私に話しかけてきた。

「星が綺麗ね」
「ええ、昼の空もいいけど夜の空も素晴らしいわ」
「そうね」

 さてと、と霊夢は一言多分無意識に声を出すと、霊夢は私のほうに振り返る。そこには、霊夢はいなかった。

 代わりにそこにいたのは、霊夢に似ているけどどこか違う、かわいらしい笑顔。






































「じゃあね、お母さん。また来るわ」

 さっきまでは普通に出ていたのに、声が出なかった。その姿はまさしく――霊奈。理解するよりも先に、思わず笑みがこぼれる。夜空の星の下に起きた奇跡、私はそれに感謝せずにはいられなかった。

 ゆっくりと、私の口が開く。この場で、多すぎる言葉なんて必要ない。たったこれだけ、私は呟いた。

「……ええ、またいらっしゃい、霊奈」

 霊奈は私に背を向け、夜空へと飛び立った。徐々に、徐々に霊奈の姿が小さくなってゆく。

 私は見えなくなるまで、霊奈を見送った。

 もうすぐ夏だというのに夜は少し冷える。寒気を感じた私は家の中へと、戻る。長い廊下を歩き、さっき霊夢が淹れたお茶を飲む。私の舌に合う、熱すぎることもない、温すぎることもない、ちょうどいい温度だった。冷えた体に注がれる熱が徐々に胃のほうまで下ってゆく。

 霊夢は、きっとちょっとした悪戯心からあんな言葉を口走ったのだと思う。霊夢には霊奈の話をしたことはないし、あの二人は会ったこともないから。それに、最近の私と霊夢の関係は、親子に見えるって白黒の魔法使いに言われたから。

 霊奈は、もう死んだ。だから、あれが霊奈のはずがない。あれは霊夢、霊奈なんかじゃない。

 もしかしたら霊夢の行為は死者への冒涜、と怒る人がいるかもしれない。でも、私はそんなことは思わない。むしろ、彼女に感謝した。例え冗談でも、霊奈がいた頃を思い出させてくれたから。

 夜空の星が起こした一つの奇跡、それは本当に奇跡なのか、霊夢の悪戯なのかはわからない。

 でも、夜空に飛び立つ前の霊夢の顔は、霊奈が最期に見せた曇りのない笑顔に限りなく似ていたような気がした。

 今夜も夜空の星が綺麗。この夜空を見るといつも、夜空の下で起きたあの日々の、かけがえのない奇跡を思い出す。

 これからもずっと――例え私が死んでも、それでも、たった一つの奇跡を起こしたこの夜空の星だけは、永遠に見続けていたい。



あとがき

オリキャラ&オリ設定を混ぜつつ、70キロバイトの過去最大の長さとなりました。
ここまで読んでくださった皆様には感謝の念が絶えません。
公式で発表されていない場所は適当にしましたが、楽しんでいただけると幸いです。
博麗と八雲、この二つの未来をこれからずっと、夜空の星は見守ってゆくことでしょう。
もちろん、彼らだけではなく幻想郷の人々、そして私たちをも。

お読み頂き、ありがとうございました。

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